02/05/07
多様な人材の生きていける社会へ1
高齢者や半病人をうまく使えと言うと
「高齢者や病人を使っていて仕事中に倒れたらどうするんだ」
と言うのが大きな障害ですが、役人ばかりか民間まで、「・・・・たら、どうする・誰が責任を取るのか?」式の自己保身社会になってしまったのは、困りものです。
こうして元気な現役高齢者まで、職場から締め出されていることを、昨年末から中断している高齢者の生活保護問題のコラムに戻ったときに紹介する予定です。
一定の高齢者や、病気持ちを雇う社会にするためには、事故等があっても企業の責任にしないルール・・社会の合意が必要でしょう。
何でもかでも、労災だ!企業の責任だ!と主張する風潮が、かえって弱者・・中間的人材の職場を狭めているのです。
勿論どのような場合でも、無責任で良いとは言えないでしょうから、細かいルール制定が当然必要ですが、これからはこう言う細かいことも面倒くさがらずにやっていく必要があるのです。
多様な人が働ける職場にするためには、弱者の家族の方も、もしか何かあってもそれでも良いから使ってやってくださいと言うゆとりのある対応が必要です。
お医者さんにかかるときにも、よほどの医療ミスでもない限り、老人が死亡しても文句言わないのと同様に、半病人や高齢者を使ってもらっていて、仕事中に心臓麻痺で倒れたり転んで骨折しても、遺族や身内が鬼の首でも取ったように会社を難詰しない社会が必要です。
中間的な労働力を、うまく活かす社会を作っていくためには、使うほうも完璧を求めないし、雇われる方の家族も、ある程度遠慮すると言う方向へ、労使共に意識改革が必要でしょう。
私の基本的な思想は、多様な人が共棲出来る社会を目指すものですが、(これまで、「多様な・・・・・・」と言うテーマであちこちに書いていますので、サーチしてみてください)日本全体で、こうした工夫をして多くの人の働ける柔軟な社会を作っていく必要があるでしょう。
多様な人材の存在が許容されるためには、原則的に多様な能力を認める緩やか・・・寛容な社会が前提となるべきでしょう。
ちょっとでも規格から外れたら許せないと言う料簡の狭い社会では、多様な社会になれません。
現在のいじめ蔓延の社会も、こうした不寛容な精神構造がもたらしてるものでしょう。
中国残留孤児の問題も、満州へ送り込んだ上に、その引き上げ援護を充分にしなかった国の責任もあるでしょうが、折角帰国したのに、
「普通の日本人並に仕事が出来ない、会話ができない」
というちょっとした違いを許せない・・懐の広くない日本社会が、彼らを苦しめて、訴訟になっているのです。
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