02/02/07
主権国家の制約3(生活水準の平準化と民族の消滅1)
「資源ナショナリズム」を無視出来ないなどと、マスコミは聖域のように報道しますので、これにこだわる人は何か正しいことの主張をしているような誤解をしてしまいます。
しかし、資源ナショナリズム・・独り占めにこだわる人は、人間の生き方としてはどうかな?と言うタイプではないでしょうか?
一人一人の個人で言えば、山道などを歩いていて何かいいものを見つけたら、一緒にいた仲間にとられないように、(みんなで分けないで独り占めしようとして)ガバッと押さえ込んで、(先占の理論です)キョロキョロしている人のイメージではないでしょうか?
こうした独り占め志向・・偏狭な発想の人を、資源ナショナリスト・・愛国者と立派そうに言い換えただけではないでしょうか?
こうして、すべての分野で囲い込みを廃し、自由に資源を採掘し(内外無差別の許可基準と言う意味です)、自由に人が移動し交易する時代・・・・異民族・異教徒入り乱れて生活する時代が来ると、地域で括られる現在の国家概念の必要性が少なくなってくるでしょう。
国家の障壁が鉄壁から障子のように薄くなって来て、そのうち誰でも自由に出入りできる時代が望ましいのです。
言わば、がっちりした石造りの壁で囲まれたドアのある出入り口からだけ、出入りできる西洋式の家から、家のまわりは障子と縁側だけで、どこからでもあけて入れるし、障子を閉めたままでも、それとなくいろんな気配の出入りが出来る江戸時代の家のような時代が来るのが望ましいのです。
ところで、自由貿易、人材の流通が普通になってくると、賃金の平準化も進みます。
最初は先進国と後進国とでは、教育機会の差で、能力差も大きいでしょうが、そのうち、研修生の受け入れや、現地進出・・・研修教育の推進により、この教育機会も平準化されて行きます。
そうすると実は民族による能力差は、思ったほどでないことが分かってきて、労働者やホワイトカラーの賃金の格差もなくなってくるでしょう。
どこの国にも、優秀な人材と無能な人材・・犯罪者などそれぞれいるものです。
民族によって、少しは、その比率が違うと言うだけのことではないでしょうか?
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