02/02/07

世界平和45(資源の国際管理9)国家主権の制約へ2

スエズ運河パナマ運河などの管理・運営事業者の選定についても、世界に開かれた公募制採用を図って行く運動なども、その一種でしょう。
将来的には、採掘許可や採掘料金設定を国際機関の許可にかからしめ、国際通商路の管理を国際機関に委ねれば、資源を求めて戦争する必要が殆どなくなるのです。
漁獲枠も国別に決めるのではなく、資源保護のためならばその海域内で総枠を決めて、その期間内・範囲での自由競争にすべきでしょう。
自由競争にすると乱獲になり兼ねませんので、エントリーする資格制限が必要でしょうが、そこ・参入資格取得・・入札制などを自由競争にすればいいのです。
また入漁料も、須らく国際管理にすれば排他的経済水域などと言う概念もなくなり、争奪する必要が有りません。
平和を本気で探求するならば、自由貿易、人の移動・・どこでも好きなところで、働ける保障などから始って、資源の独占禁止に進める運動を展開するべきでしょう。
このように、いろんな分野で国際管理が進んでいけば、それに反比例して、国家主権の自由裁量性が制約されていきます。
植民地主義の反動から、民族主義や国家主権概念が聖域のように強固になっていき、その壁がゴツ過ぎることから、却って、そのゴツイ壁をぶち破るためにゴツイ大砲やミサイルが必要になってきたのです。
個人の家でも世の中が物騒になるに連れて、家の壁や塀が頑丈になって行くものです。
日本の例で言えば、八幡太郎義家父子の活躍で有名な前9年〜後3年の役の結果、奥州への大和朝廷の支配権を確立したと言っても、服属させただけであって、その先がどうなっていたのかさっぱり気にしていませんでした。
その後、鎌倉政府が奥州藤原氏を征伐したと言っても、境界に関しては似たような意識で、その先がどこまで日本の版図になったか、まったく気にしていなかったのです。
江戸時代末でも、北の方の境界は北海道の松前藩どまりで、その先がどうなっているか・・・・要するに行き着く先の境界まで関心がなかったのです。
つい江戸時代まで同様に、境界と言うものに関心のなかった時代の精神に戻れば、現在の北方領土など、小さすぎて喧嘩する必要すら感じなくなるでしょう。
国家主権とか領域・・・境界などにこだわる必要がなくなれば、貿易や資源を求めて戦争する必要がなくなってくるのです。
イラクによるクエート侵攻も、クエートが、自分達だけで資源を囲って、いい思いをしている事から起きた事件でした。



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