02/23/06

金貸し卑しいか?(地主金貸しの違いは?)

天然果実と法定果実の説明を、02/15/06「永小作権4(民法150)果実とは1?」のコラムで、少ししましたが、(後に条文を紹介して説明します。)法律学では、金利も地代も家賃も小作料も同じく、法定果実と呼ばれる同じ性質なのです。
金利も地代、家賃も、同く法定果実を生み出す行為なのに、お金を貸す行為になると、一転して「金貸し」として蔑まれ、お金の回収行為は、取立てと言って卑しまれるようになったのでは、価値観が一貫しません。
西洋からいきなり、「金貸しは卑しい」と言う変わった思想が持ち込まれたときと、日本の貨幣経済化が国民全般に浸透し始めた時期と一致したからではないでしょうか。
そして、明治以降庶民にまで貨幣経済化が浸透しますと、貧富の差・・優勝劣敗が明白になってきます。
地租改正によって窮乏農民が続出しましたが、(地租改正により租税が税金に変わった経過を、既に紹介しました。)士族の収入源も、家禄から金禄公債に変わった経過も、06/21/04「明治政府のリストラ3(金禄公債証書3)資本市場の発達と起業家の勃興」前後のコラムで紹介しましたが、兎も角国民は、武士も農民もいきなり貨幣経済に放り出されたのです。
かなりの者は、貨幣経済社会への不適合を起こしましたから、その日食うのに困った窮民は、さしあたり金貸しに頼るしかないのですから、消費者向け貸金業は、需要に応じて発達しました。
その辺は政府も知らん顔しておいて、(急激な貨幣経済化に対するケアー不足だったのです)困った人が借りるに任せておいて、社会問題化すると金貸しは怪しからんという風説を煽るやり方でした。
(生活保護とサラ金の関係も、06/04/02 「社会システムの大型化と細やかなサービス4」前後の連載で既に紹介しました。)
同じくものを貸すにしても、「金貸しの取立て行為は・・どうも・・・」と眉をひそめる人が多いのですが、地主が小作料を払えない人(その日の食うのにも困っている人が多いでしょう。)から小作地を取り上げるのと、あるいは、家賃も払えない困った人を、寒空の下に追い出す大家はアコギでなくて、金貸しが寒い外から震えながら、戸を叩いて集金するのと、どちらがアコギだと言えるのでしょうか?
江戸時代には、貨幣経済化がかなり進行していたのですから、この時代にも金貸し行為が発達していたはずですが、明治の価値観で江戸時代の物語が作られますので、現在では江戸時代の貸し借りとしては長屋の大家さんばかりが出てくる始末です。
例えば、近松の「冥土の飛脚」など読んでも、お金に絡んだ事件が主な筋ですし、江戸の歌舞伎でも、助六その他花街を舞台にしたものでは、身請けするお金を中心にした事件ばかりです。
これだけ命懸けでお金の世界が語られているのに、このお金を用立てる職業が1人も出て来ないのは、奇異なことでしょう。
ましてわが国では、古来からものを貸して利子を取るのは、神様が率先して行って来た社会なのですから、お金の貸し借りがなかったとは考えられないのです。
需要があって、タブーもない社会であれば、それを業にするものが、出てくるのは当然でしょう。



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