02/23/06
ついでに租税の税と言う字は、禾ヘンの稲科の植物を表す意味と右側のエツは、抜き取る意味ですから一定の収穫から一定率で抽出して取ることを意味しています。
租と言う字も禾扁に且には、イネ科の貢物をあらわしますが、魏の時代ころから借りると言う意味でも使われていたようですから、(上海や香港なのどの租借・租界の用法です)禾ヘンの借りる=租は、種籾の借り賃と言う意味も含まれているのかもしれません。
しかも、租には何時借りたか分からない程、古くからと言う意味もどこかにありそうです。
わが国では、白村江の敗戦後の鎖国化で、自給自足化してきますと純粋農業社会化していましたから、貸付に対する安定的な支払いを約束する利息妥当社会になっていたのです。
と言うか、大陸や朝鮮半島との交易がなくなり、商業利権や市場秩序維持の見返りとなるショバ代的な収入源がなくなって行ったので、権力機構にとっては貸し付けによる回収しか出来なくなってきた社会だったのです。
種籾の貸付から、一方的な奉仕を求める租税に転化して来たことを書いて来ましたが、国民にとってはいつ借りたのか分からない程、昔に借りたらしいと言う理由で、兎も角とられるものを租税と言うことになったのです。
しかし、個人間では、そこまであつかましく出来ませんから、最後まで先行する貸付行為がなくなりません。
これが、後に貨幣経済が徐々に発展してくると、いわゆる金貸しにつながり、鎌倉時代には「土倉」としての民間の金貸しが発達します。
銀行業は、元は為替取引のために発達したと説明されるのですが、それは、これまで紹介してきた商業社会で生まれた西洋やイスラムの価値観が明治なって入って来たために、金貸しは、いけないといわれるようになったので、キレイ事として言うようになっただけです。
わが国では、正しいこと・その社会のモラル発信源であるべき神様が、種籾の貸付で利息を取ったのが、出挙(すいこ)の始まりと言うのですから、物を貸してその利息を取る方法は、当時の社会実態にもあっていたし、歴史上金貸し(貨幣経済以前は、各種の貸付行為とでも言うべきでしょうか)が、こそこそと遠慮している関係ではなかったはずです。
今でも残っている貸付行為の代表は、大家さんや地主さんですが、社会的地位が高いものとされていますよ!
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
