02/20/06

租税とは?5 (・・・徴兵制基礎

01/05/06「大宝律令とその実際1(防人の先行と人不足の解消)」のコラムでも紹介しましたが、農業を基本とした社会では、夫が1年兵役に取られても農業収入には殆ど変化が有りませんし、あるいは大家族制の時代には、労働力が一人くらい減っても何とかなりました。
しかし、明治政府の方針で、農民を都市に駆り出して都市労働者を増やしていった事を、何回も書きましたが、その政策成功で、大正のころには、工場労働その他勤務者、或いは事業収入を得ている家族(これは原則として核家族です)が増えて来ていたのです。
これが大正のデモクラシーの花が開いた原因ですし、このような社会になると徴兵制では、(徴兵した兵士の食費の面倒を見るだけ)残された家族の生活が出来なくなってしまいます。
政府は、時代変化を無視して、古代思想のまま徴兵制を強行していたのが、(それも1人二人でなく、百万と言う大量動員です)太平洋戦争でしたから、これでは無理が出て、残された家族には悲惨なことになります。
「一銭5厘の赤紙一枚」と言う怨嗟の俗語が残っていることからも、国民の怨嗟の声の甚大さが分かるでしょう。
こんな無茶な制度を強行したことだけでも、戦争で負けなくとも政権崩壊の原因になるべき大失政だったでしょう。
たまたま敗戦したので、敗戦ばかりに焦点が当たり、戦争前の大失政の数々が覆い隠されてしまっているだけです。
いつも書きますが、明治政府は結構したたかに本音と建前を使い分けて着実に社会変革をして行ったのですが、これを引き継いだ昭和の政府要人のレベルが低かったのです。
明治の最初に政治的妥協として採用した王政復古・・古代思想に心酔しているばかりで、折角明治政府が苦労して変革していった結果、出現した社会構造の現実に合わせてパラダイムを変更していく能力がなかったと言うべきでしょう。
たとえば、政府の近代化政策によって、農民を減らして都市労働者が大量造成されていき、同時に「産めよ増やせよ」政策でしたから、必然的に家制度の基礎が崩壊していったのです。
家を継いだ家長が、多くの弟妹の面倒まで見切れない事態が進行していたことについては、04/03/05
「厄介の消滅と家父長制の虚構1」以下のコラムで紹介しています。
社会実態が核家族化していきましたから、家族制の地盤が崩壊する一方だったのに、逆に家族制度・・家長権だけの強化を叫んでみたり、現実を見る能力に欠けていたのが、戦前の官僚群でした。
その原因については、10/15/03「教育改革18・・・・・多様な人材を育てる教育システム1」のコラムその他で、秀才の問題点として紹介しました。



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