02/16/06
キリストと農業社会の歩み寄り3(金利禁止思想1と不労所得1)
「ベニスの商人」の例を良く出して恐縮ですが、誤解があるといけないので、この際、実際の所を書いておきましょう。
シェークスピアが書いた当時の社会では、リスクの分散のために、既に保険が既に発達していたことと、1人で一つの舟を保有するようなリスクを犯さずに分散投資が進んでいたので、シェークスピアは史実に反した内容の物語を書いているのですが、よく知られているので引用しているだけです。
ただ、保険制度、その他リスク分散技術が発達していたのは、その前提として、その社会には大きなリスクが先にあったことは確かでしょう。
このように不履行になる確率の高い商業中心社会では、期間に比例する固定金利よりは、ハイリスク・ハイリターンのキャピタルゲインの思想が発達し、逆にどのような事情があろうとも期間に比例して金利を取れる約束は、不当なものとされるのは、当然です。
イスラム教やキリスト・ユダヤ教の金利禁止思想は、今の言葉でいえば働かないで金利収入を得る
「不労所得を許さない」
という綺麗ごとの思想で説明されますが、ことの本質は、以上のような社会構造の違いから生じたものだったでしょう。
これが、キリスト教が農業社会へ軸足を移していきますと、日本同様に利息・収穫の結果によらない、経過期間による金利収入への親近感を強めていくのです。
そしてこれは、異教徒間ならば、許されるという便法で、ユダヤ人を利用して金利社会が常態化して来たことを、02/12/06「キリストと農業社会の歩み寄り2(キャピタルゲインと利息)」のコラムで既に紹介しました。
そこで、保守派は、金利禁止思想を固守するために、新時代の思想である「不労所得は悪」であるというテーゼを持ち出して理論武装したのでしょう。
しかし、「不労所得を許さない」と言う思想は、昔からあったものではなく、勤労を尊ぶようになった西洋の新教徒に始まり、近代にはいって社会主義思想の発達によって、強調されるようになったものにすぎません。
洋の東西を問わず、王侯貴族制がふつうであった古代以来、そのような思想はなかったのです。
ただ、商業社会では、結果に関係なく取れる金利思想は、なじまなかっただけです。
実は、日本だけは、早くから働き者が尊敬されたのですが、実務家である武士階級が平安末期以来徐々に支配階級になっていった長年の歴史があったことが重要でしょう。
この土壌の上に、いわゆる海からの圧力に対抗するために、江戸時代からの興った全国民的意識変革・・・・勤勉革命に成功するのですが、その結果にすぎないのです。
・・・勤勉革命については、12/10/03「千葉の歴史8(千葉県人と海洋史観4・・勤勉革命)」前後のコラムで紹介しています。
古代には裸足で歩き、泥んこになって働く庶民や労働する者は卑しいものとされていたのは、中国でも西洋でも日本でも、同じです。
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