02/14/06
この機会に永小作権関係の殆ど全部の条文の紹介となりましたが、民法274条では、如何に凶作であっても小作料の減免を求められないと言う過酷な内容になっています。
前回冒頭に書いたように、稗、粟、米麦に関しては収穫が安定していて、ゼロに等しいような凶作は、実際には有り得なかった日本の長い歴史があるので
「利息である以上、収穫の結果に拘わらず、経過期間の割合で一定率で支払うべきもの」
と言う固定観念・・国民的合意が、長い間に生じていたのでしょう。
(果物ならば、今でもまるで駄目なときも結構あります。)
こうして、民法制定以前のずっと前から、
「利息は借主の営業成績如何に拘わらず固定でもらえる、利益配当は、決算次第で貰える不確かなもの」
とはっきり別れて理解されるようになっていたのでしょう。それにしても、収穫ゼロのような凶作は何百年に一回しかないとしても、もしもそうした大飢饉・凶作のあったときには、少しくらいは減免してもよさそうなものですが、何故このような過酷な規定になったのか疑問です。
実際上、「甘えの構造」と言われる、いたわりあい精神構造の日本では、凶作の場合は話し合いになるのが普通でしょうから、その意味でも、法が日本の実情にあっていないのです。
もしかしたら、永小作権の厳格な規定は、明治政府による都市労働者作出のための小作人追い出し政策の片棒を担いでいたのかもしれません。
明治政府は自営農民を、租税の金納によって小作化し、さらには都市労働者として、再編成するのに努力していたことを、04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」前後のコラムで連載しました。
イギリスでは、既にエンクロージャームーヴメント・囲い込み運動として成功していましたので、当時世界中で農民の都市労働者への再編成は、大流行であったかも知れません。
こうした規定は、日本だけの現象ではなく、フランス法やドイツ法にこうした規定があって、そのまま翻訳したのかもしれません。
(事務所で文献に当たらないと正確には、言えませんが、このコラムは仕事ではないので、この程度の思いつきとして御了解下さい)
ちなみに、農地の小作関係は、戦後農地法で大幅に内容が制限されていますので、実際の運用は農地法の説明をしないとわかりませんが、今回は利息の話に関する限度で触れただけですので、この辺にしておきましょう。
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