02/13/06
政府が行う出挙(公出挙)は,その半分の5割だったと言われています。
(利率が高すぎると言うことで、養老2年に3割にしたらしいのですが、直ぐに5割に戻ったのです。)
仮に私出挙のように、利率が10割としても 日本のように一粒万倍の農業を前提にすれば、
「春に米粒を10粒借りて、秋に20粒返すくらい、どうってこたあない」
と思う人が多いでしょう。
しかし、貸す方から見れば、春まで種籾を蓄える財力のある者が、例えば米壱俵あれば秋に2俵返してもらえるわけですから、一定量の貸し米(備蓄)が・・・例えば春に10俵あれば、秋には20俵になるのですから・・・全く働かないで済む者・・階層が生れてくるのです。
公出挙は、上記のように時代によって3割に下げられたこともあって一定しませんが、公出挙はしだいに一種の租税化され、単なる勧農や救済制度ではなくなってきたと言われています。
日本の気候は豊かですから、時代が成熟して水稲耕作に慣れてくると、春に種籾すらない貧窮民は、よほどの飢饉のとき以外には発生しなくなります。
こうなると、借りてくれなければ神社も政府も持ちませんから、押し売りならぬ「押し貸し」するしかなくなります。
同じ御米でも、これは「神前でお祓いした有り難いものだ」とか何とか言って、押し付けているうちに、
「兎も角秋に納めれば、いいでしょう。」
と言う合理的な人が増えて、面倒くさくって種籾の払い下げを受け取りに行かない人が多くなります。
我々も、結婚式には出られないが、お祝いだけでも包むとか、仲間内の会合などに出なくとも会費だけ払っておこうと言うことが多いものです。
そのうち、春にお参りしてもしなくとも良いが、秋には収穫物を納める慣習となり、・・・秋には取り立てる権利・・・強制的な租税に転化していったのです。
この納税量は、春に借りた種籾に比例するべきですから、実際に種籾を貰わなくなったことから、水田の広さで比例的に納める仕組みに転化していきます。
商業と違って、収穫・・・結果には個人差があまり大きくありませんから、水田面積に比例するやり方は、公的な灌漑設備の利用率その他から考えて合理的だったでしょう。
税金の税と言う漢字を見れば分かるように、稲ヘンですから、この出挙(すいこ)から始っていることが分かるでしょう。
豪族と支配下の私出挙(しすいこ)の場合は、地代・小作料と言う形に変わって行き、そのうち対等な私人間の貸し借りは土倉と言う商売に発展していくのです。
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