02/12/06
出挙(すいこ)とは、大化の改新のころに既にあった制度らしく、
「春時,挙(いら)ヒ受ケ,秋冬ヲ以テ報ズ」
とあるように,春に稲粟を借り,秋冬の収穫時に利息・・その子供を付して返す制度のことだったのです。
公式記録としては、大宝律令に出挙(すいこ)の利率についての規定があります。
何故「出挙」と言う言葉になったのかについて、一見理解に苦しむ所ですが、もとは神社に奉納(挙とは両手で捧げる意味です)された種籾を、春に窮民に貸し出したところから始ったからだそうです。
これを国衙(こくが)が利用するようになり、さらには、強制的貸付・・租税に転化していったと聞けば、何となく合点がいきます。
利息と税金が、親戚関係にあったと言えば驚く方が多いでしょう。
キリスト世界では、十分の一税とか言って、キリストの教義自体に租税の思考が組み込まれていますが、わが国の古代信仰にはそうした組織維持原理が組み込まれておらず、本能的な感謝の気持ちの捧げものだけで成り立つ仕組みです。
その結果かどうか知りませんが、村落ごとにある神社は小さな祠があるだけで質素なものです。
村の鎮守さん程度ならば、何十年に一回の祠の建て直し資金だけを寄付で募れば間に合いますが、神主さんが常駐するような規模になると、継続的維持費がかかります。
そこで工夫されたのが、この出挙(すいこ)の仕組みでしょう。
一見貧者の救済のようでいて、秋の収穫物をお返しするのは感謝の気持ちの表れでもあって、大義名分も良いのです。
繰り返し書いていますが、商業社会から始っていた日本では、鎖国によって海外との交易がなくなってしまい、さらには列島内でも各地の水稲栽培能力が均一化してくると、各地の自給自足化が進みます。
こうして、列島内部の交易も細る一方だったでしょうから、それまでのように政府の維持費を商取引のショバ代から稼げなくなったのです。
白村江の敗戦以来鎖国した結果、農業社会化・・自給自足化してきますと、どうやって権力機構の維持費を捻出するかに頭を悩ませていたでしょう。
徳川時代には、農民からしか税をとる仕組みがなかったのですが、時代の進展にともない、経済の比重が農から商へ変わって来たのに、どうして良いか分からずにときどき冥加金しか取れなくて、財政難で困ってしまったのが有名ですが、古代には、農民から取る方法が確立していなかったために、逆バージョンで困っていたのです。
今では、ネットビジネスその他新手の収入が激増していますので、税務当局もどうやって課税するか日々工夫しているところですが、いつの世にも時代の流れと徴税手段の追いかけっこがあるのです。
このように、日本では宗教的慈善行為から始って租税化していくのですが、こんなうまい手はないと言うことで、養老のころからは、豪族もこれを利用するようになっていきます。
これを私出挙と言い、この場合は,個人間の契約で,政府は関与せず,その利息は1倍=10割が相場でした。
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