02/09/06

商から農への転換4・・・西洋の場合

これまで、日本の農業社会化と武士の台頭(中央権力の衰微)を見てきましたが、ここで、09/25/5[商から農への転換3(権力不要社会へ)」のコラムの続きに戻ります。
日本では、上記のように農業社会化につれて、中央集権的権力統治が衰微し、むしろ各地に根をおろした武士の勢力が次第に力を蓄えて行くのですが、西洋ではどうだったでしょうか?
単一に近い気候で平原の広がる西洋では、同じく農業主体社会になったと言っても、日本とはかなり様相が違っていたようです。
勿論フランスと言っても南部と北部では違うでしょうし、ドイツも同様です。
私の言うのは、こうしたマイナーな相違ではなく、日本に比較しての大雑把な相違です。
大雑把に言って平原が基本である分、各地の生産手段方法の違いが少ないのですから、封建領主が割拠する必要性が弱く、反比例して王権の存在価値が日本よりも強く残ったでしょう。
日本の大名家は、自領経営に精出して、特産品の開発に余念がなかったのに対し、西洋の諸侯は、宮廷貴族化して、ダンスに興じていたのとの違いです。
こういう平原社会で何千年も生きていれば、末端の農民も、画一的労働、命令になじみやすいでしょうから、個性があまり発達せず、農奴的・・現在の労働者的農民の先祖がいつまでも残ったのでしょう。
ここでは、農民が力を蓄えることなく、日本のように農民の中から武士が生れませんでした。
アメリカ大陸でも、綿花栽培などで黒人奴隷の需要があったのは、大規模農業=単純作業と関連があります。
西洋の農奴・・小作人は、支配服従に慣れていますから、次世代の工業労働者としても直ぐに適応出来たでしょう。
ドイツその他の西洋の都市計画の画然とした町並みに驚き、これを賞賛する報道が多いのですが、これも画一的気候になれた画一的生活国民だからこそ出来るし、受け入れられるに過ぎません。
多種多様な気候風土に訓練された日本では、個々人がその日その日の空模様や風を感じて独自の判断で農作業や、その日の手順を決めていかねばならない社会です。
こういう社会では、自分の判断が重要で、上からの指示を待っているようでは進みません。
個性重視ですから、画一的な制服や都市計画は馴染み難いのです。
単純作業になれた民族では、より単純化する方法として考え出されたベルトコンベヤー式の流れ作業こが、その能力引き出しの極致として理解される筈です。
日本では、逆に従業員にある程度の創意工夫の余地を残さなければ、却って不満の出る社会でした。



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