02/09/06

農業社会政治権力6(武家台頭1)

しかし、荘園経営も農業経営そのものですから、農業社会化による中央権力=天皇権力の形骸化は、小宇宙である荘園内でも同じく進行し、日本列島全体で権力の形骸化が構造的に進んでいたと言えるでしょう。
藤原摂関家の「氏の長者」と言っても見ても、収入の本締めになれるというだけで、するべき政治=今で言う所の経済政策はなかったのです。
当時の政治は、官位昇進のための権謀術数が中心で、国内政治自体するべきことは何もなくなっていたのです。
(秋の除目が唯一・最大の関心事だったとすら言われています。)
百人1首にも出てくる有名な和歌を紹介しておきましょう。
   「契りおきし させもが露を 命にて  あわれ今年の 秋もいぬめり 」
この和歌を文字だけで見ると、無常観を詠んだものかと思われがちですが、実は、次の除目でこそは、と儚い夢を抱いていたのに、あわれ!今年も選に洩れてしまい、秋が過ぎて行く詠嘆を呼んだもので、実感の籠もった名詩になっている訳です。
「契りおきし 」というと男女関係のようですが、そうではなくて、その道の高官に日ごろから出入りして(付け届けも怠らなかったでしょう。)
    「今度こそはお願いします。」
   「うむ、今度こそ、何とか大丈夫だろう」
と言うやり取りがあったのに・・・と言う恨み節が、裏にあるのです。
以前、12/26/03 「身分とは?3(中世社会2)公家」のコラムで、源三位頼政が、秋の除目に洩れて、「しい(4位=椎の実を拾うか」と言う趣旨の歌を読んだところ、清盛が急いで三位に推薦して、彼の離反を防ごうとしたことを紹介しました。
(この結果、歴史上、彼は源三位と言う呼称で残っているのです。)
話を戻しますと、天皇家権力を摂関家が牛耳ったように、荘園経営の実権も実際に現地で仕切っている各地の地元有力者に移っていくのも時間の問題だったでしょう。
(実際は、地元有力者が自分の荘園について、中央の保護を求めて摂関家や八条院に寄進して自分を預かり所職にしていただけですから、当然でもあったでしょう。)



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