02/08/06

農業社会政治権力5(荘園の発達2)

12/17/05・・2「天武・持統朝と律令導入(大宝律令と養老律令)」のコラムで紹介しましたが、701年に大宝律令がやっと出来たと思ったら、その約20年後の723年には三世一身法で開墾が奨励されている(耕地不足になっている)のですから、そのずっと前から耕地不足になっていたのです。
耕地不足では配給できませんから、その前から班田収授法は機能していなかったことになります。
このように、公地公民制の実施出来た期間は実際には短期間でしたので、名目だけ国家公有地にしたものの、実質上温存されていた豪族の勢力が、直ぐに復活して荘園化が進んだのです。
そのうえ、白村江の敗戦で、鎖国してみると、人口の割りにいくらでも新田開発出来る土地があったので、新田開発が盛んになっていきます。
明治維新直後に千葉の小金牧や佐倉牧が3〜4万町歩もの広さで、馬の放牧場として手付かずになっていたので、政府は、開拓農民の入植を計画したことが知られていますが、そんな国です。
、このときも三井など豪商の出資に頼ったのです。
当然豪商へは、今の法律用語で言う所の「保留地」分相当の広大な農地所有権が移る仕組みでした。
新田開発は、大地主や荘園の発達を促す経済的原動力になるのです。
千葉の歴史でも書きましたが、つい最近でも、まだ開発余地のある土地がごろごろしている広い国?なのです。
この点、中国の田舎を旅行してみると分りますが、人の住める土地の広さで言うとほんとに狭い国で、川の上にまでせり出して民家が建っているくらいです。
(厠・・かわやの語源そのままに、川にせり出したトイレがあるのです)
開拓しようとすれば、「愚公山を動かす」と言う故事を転用した(もじった)僻地の自然破壊をするしかない貧しい国土です。
日本に戻しますと、農地の殆どが荘園化してくると、社会の関心は荘園の経営が中心になってきますから、大荘園の経営者が大きな力を持つようになったのが、摂関家による支配構造でしょう。
現代で言えば、国家経済を支える産業として商業資本家が中心になれば、商業資本家の発言力が強まり、産業資本が中心になれば、産業資本家中心になるのと同じです。
今でいえば、日本を代表する大企業のトヨタの会長が、経団連の会長をしているのと同じです。
発言力が強いだけでは、例えばトヨタの傘下に入っても野菜や魚がたくさん売れるわけではないので、仕方がないのですが、当時は中央の権力者に名義を貸すことによって国司からの徴税を拒否出来たので、大きな意味があったのです。
天皇権力の形骸化につれて、当時の大産業であった荘園経営のトップであった藤原氏・・摂関家が権力を独占したのは必然と言えるかもしれません。
中級貴族が(公務員でありながら)藤原家の家司(けいし)になって行き、後にも触れますが、藤原家独自の刑罰を受けるようにすらなっていくのです。



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