02/08/06

農業社会政治権力4(荘園の発達1)

日本では、このように農業社会化が、中央権力の形骸化に進むのですが、中国や朝鮮半島では、何故専制的権力が20世紀初頭まで続いたのかの関心です。
農業社会・・・荘園化・・・ひいては武士による地方割拠の領国化、封建性へと発展して来たのが、日本の特徴ですが、中国や李氏朝鮮はこれがなく、最後まで直接国家管理だったので、中央集権的権力の象徴である皇帝権力が、20世紀初頭まで残ってしまった社会組織面での原因ではないでしょうか。
10/05/05「専制君主制と官僚の脆弱さ1(杜甫と李白の場合) 」のコラムで書きましたが、中国では荘園制度・・この発展形の地方豪族というものは、律令体制化で根こそぎなくなっていたので、このために、かなり名の知れた高官でも、或いは王族でも2〜3代もすれば直ぐに落ちぶれてしまう社会でした。
農業国家化・・・産業構造面からみれば、中央集権的・専制的権力の必要性が消滅していた点は、日本と本来は同じ筈です。
しかし、日本は当時で言えば、万里の波涛に守られた孤立した列島内で、安穏と自給自足経済になって行ったので、先ず国防軍の必要性が消滅していた点が大きいでしょう。
しかも、狭い逃げ場のない列島内で、各種民族が入り乱れながらも坩堝の中のように、長い間に渾然一体化して同胞化していったのに対し、中国では、いつも異民族が国境を接し、内部に異民族を抱えていたことに注目すべきでしょう。
清やモンゴルなどの異民族支配のときは言うまでもないですが、12/16/05「漢民族の広がり?7・(南部地域からの搾取構造の確立)」前後のコラムで書いて来ましたが、漢民族政権といわれる時代でも、漢人による南部中国支配は実は異民族支配でした。
現在の国民党政府による台湾支配も同じ構図でしょう。
この多民族国家の社会構造が、実力装置としての、専制的権力を最後まで必要としていたのではないしょうか。
安録山に始まり、政権末期の戦乱になると地方軍閥などが活躍しますが、(清朝末期にも袁世凱などの軍閥が跋扈しました)彼らは国家の兵隊を私兵化していっただけで、日本のように地方に根ざした豪族・・先祖伝来の家の子郎党ではありません。
日本で荘園が発達したのは、これまでも書いているように、気候区分が細かくて中央集権的・画一的運営に馴染まない日本農業の特徴があったのと、公地公民制の基本的妥当区域が殆どなくて、形だけ豪族の土地を国有にしたので、豪族はそのまま郡司として実力を温存出来ていたことが大きいでしょう。
そのうえ、これまで見て来たように班田収受による口分田制度の実施期間が短くて、(中国のように長期間に亘って律令法が適用されていません)制定すると直ぐに崩壊してしまい、簡単に地方豪族の地盤が復活したのも大きい原因でしょう。



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