02/07/06

男系長子相続妥当範囲4(男系メカニズム

大名家や上級武士の家は、マイナス組織だったのかというと、当然イエスです。
戦国時代の終結時に功績があったと言うだけで、子孫まで同じ待遇を保障するなどは土台無茶な制度だったのです。
幕府も、次世代以降何もしない者でも、子々孫々まで家禄を支給するシステムのマイナス性に気付いていたので、何とか取り潰すために始めたのがこの男系長子相続制度だったのです。
能力に関係なく血統だけで相続していく制度が、機能できる組織など本来あるべくもないのですから、あったとしても徳川体制下の社会的鬼っ子であって、社会の発展を担う組織ではありえません。
ですから、男系長子相続制が、機能していたのは、社会的マイナス組織だけであったと言うべきであり、マイナス組織が社会多くを占めたのでは、社会が崩壊してしまいますから、権威があったかどうかは別として社会のホンの一部でしかなかったと見るべきです。
今でも天皇家に権威があるのは、確かですが、 天皇家の家族制度が日本社会の殆どを占めていると思う人はいないでしょう。
ただし、天皇は、憲法で日本国民の象徴と言いますので,後世の人は、現在の日本社会の象徴・・・すなわち国民大多数が、神前で厳かな行事ばかりしていたとか、或いは、昭和・平成の日本の家族制度を記録に残った天皇家の状態から類推して誤解する学者が出るかも知れません。
江戸期の家族制度を社会のゴミみたいなマイナス集団の制度をもって、社会全体の制度であったかのごとく理解するのも似たような発想でしょう。
江戸時代にも積極的役割のあった幕府内または大名家内の役職就任は、これまで書いているように相続制ではなく能力主義だったのです。
以上のように、長子単独相続制は江戸時代にも、国民の大部分で実際には採用されていなかったのですが、これをあたかも当時の全面的な制度のように思いこむようになったのは、明治政府による教育によるものです。
今でこそ、観念的な男尊女卑思想にコリ固まった人が多いですが、(明治以降の教育の成果です)江戸時代には、実際の必要性に合わせて、いろいろな相続があったのです。
そこで、女系男系の問題に戻りますと、武力中心時代、腕力の必要な労働時代には、組織トップは男性が有利でしたが、血統主義=実務能力に関係なくトップを決める時代がくれば、(飾りでしかないのですから)トップは、男でも女でも関係がなくなってくるはずです。
徳川家のようにチャンスさえあれば、家臣の家を断絶させようとする目的の場合は別ですが、逆に組織を存続させようとする場合は、むしろ男系だけとか女系だけと幅を狭くしないほうが、(養子制度をとらない場合)存続の可能性が倍になるわけです。
、男系だけに決めて、しかも養子を禁じれば、直ぐにも断絶の問題が起きるのは、歴史の証明している所です。
(尾張家家中で養子を取らないで、幕末まで家を継続できた家臣は一軒もなかったと言うのです)
徳川家でも家光の後を継いだ4代以降男子がなくて、次々に将軍位が廻されて最後は吉宗になったのです。
吉宗の子孫も少しばかり続きますが、幕末には断絶し、紀州家から家茂がはいり、さらには、一つ橋家の養子に入っていた(と言うことは、一橋家も跡取がいなかったのです。)水戸斉昭の息子の一橋慶喜が継ぐのです。



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