02/07/06
武家でも、長子相続は、家禄と言う年金部分だけの相続に限られ、実務を担う役職自体の相続は有りませんでした。
例えば、徳川家の内部では、奉行の子が奉行になれたわけでなく、老中の子が老中になれたわけでないことは、11/11/03「相続と世襲2(民法112)」などのコラムで
、既に何回も書いて来ましたし、こんなことは、常識に属するでしょう。
800石の家柄、などといわれる「・・・・家」などは、実務に関係のなかった組織・・社会的には全く無駄な組織の別名でしょうが・・だからこそ血統だけを基準にした相続でも成り立ったのです。
農業であれ商業であれ、武家であれ、本当に社会実態のある組織では、その組織の実務に関与していないものがトップに立ったのでは、その組織は持ちません。
担当能力の有無に拘わらずに、法で血統だけに限定した承継資格を決めて、それでも260年間も続けられたのは、実際的仕事をしていなかったからです。
戦国時代に活躍した武将の息子が(例えば、有名な中村半兵衛の息子の場合、わずか1000石程度の知行しかもらっていないのです。)、そのまま世襲できなかったのも、当時はまだ実際の能力が重んじられていたのですから当然です。
江戸時代にはいっても、農業の場合、形式的相続をして所有名義人になっただけで、不労所得出来るほどの豪農でない限り、(農民の99%は水のみ百姓ですから)働かない人を相続人に据えて、不労者をを養っていく余裕は有りません。
仕事をしないで食べているマイナス組織以外の国民にとっては、(これが人口の殆どでしょう)相続人になるには、実際に働いていけるかどうかだけが決め手だったのです。
政権側でも、武家の相続法制を庶民に強制して、男の子がいないなら、農地を取り上げる、あるいは折角やっている養蚕をやらせないなど、意地悪していると税収が上がりませんから、実際の働き手の確保が優先となったのです。
その嫁が死ねば、その嫁が再婚した次の夫であろうが、ともかく後を継がせるのにナリフリかまわなかったのが、江戸時代だったらしいです。
01/13/06「律令制の崩壊2と荘園(農民の逃散5)」のコラムで書きましたが、農業と言うのは、労働力になる人間中心だったので、自ずから男女にこだわらなかったのです。
歴史上男系長子相続制の方が原則であったと思っている方が多いと思いますが、これまで書いて来たように完成期と思われている江戸時代でも、実際には社会的マイナス組織・・・存在意義のなくなった組織に多かっただけで、その他の健全な社会単位(これが社会の殆どです)では適用されていなかったのです。
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