02/06/06
婿取りの話から、外国人の総理の話に飛んでしまいましたが、婿さんでよければ天皇まで外国人でもいいのじゃないかと言う議論が起きると言っているのでは有りません。
古代の天皇大海人の皇子は、モロに渡来人・・今で言う所の外人だと言う説が普通ですが、当時は今のようにどこからどこまでが、日本と言うような境界意識がなく、もちろん当時は民族国家意識も有りませんから、韓半島と日本列島は、一つの経済圏として動いていたからこそ成り立つ話です。
白村江の敗戦以来、千数百年以上も、民族移動が停まり、事実上の鎖国状態できた日本列島では、外国人天皇を受け入れる精神状態になるには、あと500〜1000年もかかるのではないでしょうか?
婿取りを嫌がる心理の前提になっている男系相続の話に戻します。
江戸時代の長子単独相続制は、過大な家臣団を抱えて経済的に参っていた徳川家及び各大名家では、リストラのために、君主側が無理やりに家臣に強制していただけで、一般国民の方で支持していた訳では有りません。
忠臣蔵で有名な浅野家の断絶は、処罰として取り潰しになったのではなく、いきなりの切腹で、養子縁組届をする時間を与えられなかったために、内匠頭には弟大学がいたのに、相続者なしとして法的処理されたことによるものです。
この間の経緯については、02/04/04「江戸時代の相続制度 5(武家)(養子)民法118」及び忠臣蔵のコラムで書きました。
このように長子単独相続制は、子供をたくさん産んでいても急死の場合には役に立たず、領地を丸々没収するための仕組みだったのです。
これに対する相続者の方の知恵は、養子にしておくことで対抗してきたのですから、養子制度と男子単独相続制とはセットのものだったのですから、男系相続制を理由に婿さんを嫌がるのは一貫しません。
これにたいして、リストラの必要のない百姓などでは、政権側から姉家督どころか妻の相続さえも認めていたのです。
跡取息子がいないからと言う理由で、農家を一軒つぶしてしまったら荒地になるだけですから、租税の欲しい方からすれば、その場合誰かに耕させるしか有りません。
どうせ誰かにやらせるのならば、よそから来た嫁さんであろうが、ともかくこれまで耕して来た同じ人間に任せるのが便利ですから、嫁さんであろうと誰であろうと実際の耕作者にそのまま引き継がせるのが、好都合だったのです。
(実際、それまで耕作していた家族から、男がいないと言う理由だけで、農地を取り上げるのは無理があったでしょう。)
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
