02/05/06
今では、男女平等でもいいが、折角の世襲財産を、
「よそからきた男の意のままにされるのは困る」
と言う考えから、婿さんへの抵抗の強い人が多いのですが、これは、婿さんでも男は男として立てられる時代が続いたことから生じた観念でしょう。
或いは何でも男の名義にする習慣から、よそから来た男に世襲財産を自由にされる弊があったから、そう言う心配が生じるのでしょう。
この心配は明治民法で、夫による妻の財産処分権などが、いきなり認められた影響が尾を引いているのですが、今ではそういう規定は有りませんので、亡霊におびえているようなものです。
すべての心配や抵抗の原因を探っていくと、男尊女卑の仕組みとセットにされていた膨大な制度や観念から出て来る考えに過ぎず、こうした男尊女卑の陋習(セットになった各種制度や考え方)を打破するべきだと言う前提で考えるか、陋習を残す前提で考えるかの違いといえるでしょう。
ついでに、過去を見直してみますと、武家では婿入り(実質女系相続です)が一杯あったのは、サラリーマン社会でしたから、家産=当時は家録のたたき売りが出来なかったことと、当主が男でなければ、世襲を認められなかったからです。
誰かが、尾張藩の婿入りを調べたところ、尾張藩では江戸時代を通じて養子のなかった家臣の家は、一軒もなかったそうです。
明治初年ころから貨幣経済の浸透で、家産の叩き売りなどの心配が生じたのですが、こういう危険があったのは小農くらいでした。
これは地租改正で、金納になったために農地を売却せざるを得なかった構造的な背景があったからでした。
地租改正と、農家の没落の関係については、04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」その他のコラムで詳述しています。
明治民法では、妻の無能力制度をナポレオン民法からそのまま導入して夫が妻の財産管理権まで持つようになったのです。
この経過を、03/26/05「夫婦別姓9(ナポレオン法典の影響)氏の統一」などのコラムで紹介しましたが、この変な(日本の実情に合わない)規定の導入が、男子の専横を許していただけです。
今では、夫には夫であると言うだけでは、妻の財産を自由に出来る権限は全くないのです。
天皇家もいまや形式的能力しかなくて、王権を行使して国内が乱れる心配はないのですから、おとなしい宮さまが変な男の言いなりになって、国を誤る心配は一切ないのです。
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