02/04/06

男尊女卑思想女性像変遷(巴御前竹久夢二落差

話がまたまた逸れていきましたが、世の中で男系世襲が重視されて来た(或いは錯覚の)経過に戻りましょう。
女系で来た天皇家は別として、交易社会化・闘争社会化によって、世の中では、武力のあるものが重視される時代が続きましたので、鎌倉時代以来武家の支配が強まって行きます。
それでも、鎌倉時代には、女性の地頭がいるなど女性の地位が、まだまだ高かったのです。
また戦闘場面でも女性の参加が普通だったようで、戦死者の遺骨グループに矢が刺さった女性の骨も出土しているようです。
平家物語の巴御前姉妹の活躍は、少しばかり誇張があるとしても、あながち虚構とばかり言い切れません。
巴のような強い女性の存在は、その後の価値観にそぐわないので、こうした女性がなるべく表面に出ないような時代がずっと続いただけでしょう。
義経の愛妾、静御前ばかりが映画や歌舞伎になって、弱々しいイメージばかりが形作られているのですが、そのころの女性は強かったのが本当です。
静御前のような、か弱い女性がいなかったと主張しているのではなく、両立していたのでしょう。
静御前の場合は、白拍子・・・・媚を売る商売ですから、弱々しいイメージなのは当然ですが、今でもそうですが、性産業従事女性の方が社会全体ではずっと少ないのです。
江戸時代以降、あるいは明治以降にこうした弱々しい女性像ばかりもてはやされるようになったのは、国家思想的には、女性は男に頼って生きる白拍子的女性を理想としていたことの現れでしょう。
性だけを売り物にする女性像と言えば、聞こえが悪いですが・・・「子を産み育てる性にこだわる」考えの女性が今でもでも多いと思いますが、その仲間どころか、その極限の思想です。
江戸時代以降、上級武家の女性の仕事は、現在の皇室同様に子孫を産み育てる仕事しかなくなって行きますので、逞しさよりもなよなよしたイメージが強調されていくのです。
それでも、江戸時代の浮世絵で描かれる女性には、それなりに力がある感じがしますが、明治以降庶民にまで男尊女卑思想が行きわたった後になると、女性像は病的に弱いのです。
大正期から昭和初期の竹久夢二の絵画になると、もはや病的というしかないほど弱弱しいのは、時代背景を象徴しているのでしょう。
ただし庶民はなお逞しくって、私の知っている親世代・・・明治大正の女性は、自分は「いかに働き者であったか」と言うことを自慢する女性が多かったものです。



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