02/02/06
商業国家では、強権的権力の存在が必須であることについては、既に09/11/05「商業社会(王権)から農本主義へ2(権力不要社会へ1)」のコラム前後で紹介しました。
また基本的人権思想が、商業国家よりも物つくり国家で発達することも、09/18/05「信教の自由3(産業構造の重要さ)憲法130」前後のコラムで紹介しましたし、これを書いている途中でしたので、この直ぐ後で書きます。。
そのうえ、商業社会から平和な農耕社会へ社会が変化して行った場合でも、その社会体制を確立するまでは、どこの国でも戦国時代のような血なまぐさい殺戮時代を何百年も経ているのが普通です。
農耕社会が確立した場合でも、徳川時代を見れば分かるように、その社会を創設するのに功績のあったもの、主として男=戦国の勇者が権力の頂点に立つことになるのです。
中級階級では、大名家の君主、さらに下級では家臣の家の家長と言う具合に、社会の隅々までこの価値観・ヒエラルキーが浸透して行きます。
それだけでなく、平和社会確立で不要になった筈なのに、実体に合わない武力重視の価値観=男尊女卑の思想が、建前として固定したことが重要でしょう。
そこで、実態生活と建前の乖離から、男の沽券とか、武士の意地・・武士道などが生まれて来た経過も、06/18/04「男の沽券・面子4(恥の文化・・・菊と刀2)廃刀令」などのコラムで、既に紹介しました。
この点は、大和朝廷成立前と成立後の場合でも同じで、壬申の乱から持統天皇のころまでは言うまでもなく、ずっと時代の下がった桓武天皇のころまでは、まだ実際に勇者が重んじられていたのです。
(聖武天皇、桓武天皇と言う死後に送られる諡号・しごうは、生前の功績に照らして贈られるものですが、いずれも武と言う文字が使われていることが、それを物語っているでしょう。)
その後、長年の平和が続いた間に荒くれ者の価値が低くなったころに、再び武士の時代が来てしまったと言うところでしょう。
さらに、農業自体を見ても、中国では「男」を田と力で合成した漢字にしているように、牧畜ないし畑作社会では、男性の力が必須だったので、男の地位が平和社会が来ても、なお強かったのでしょう。
このようにして世界中で、男がリ−ダーになるのが正しいという時代が長く続いたのです。
これに対し、12/23/05「水田と畠の違い(男女の立場の基礎)」のコラムで紹介したように、わが国では
元々漢字の伝わったころから水稲農耕社会ですから、田とは、水田を表し、女性が中心になって働く場であったのです。
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