02/17/05

離婚の自由な社会1〔江戸時代の離婚制度〕民法122

女性の性的自由と離婚の自由とは大きな関係があるでしょうから、ここで江戸期と明治以降の離婚制度を比較してみて置きましょう。
女性の離婚の自由については、12/17/02「権利能力と行為能力 2(民法23)」のコラムで少し書きました。
明治以降、離婚の自由を狭めるために、江戸時代には女性側からの離婚の自由がなく、他方で一方的な男性側からの離婚の自由があったように、まことしやかな宣伝がされています。
しかし、実態から見れば、協議離婚が普通に行われていましたので、まったくの嘘ではないとしてもデマに近いものと言っても良いでしょう。
論者が書いているのは、法的な権利の問題であって、事実上どうのこうのというのは筋違いだと言う人もいるでしょう。
制度の本質は、法的な権利の有無だというのはもっともですが、江戸時代の離婚制度を法的に見ますと、原則として男性優位でしたが、細かく紹介しますと女性側からの離婚請求もかなり認められていたのです。
以下は、牧英正外日本法制史216ページからの(原文のままではありませんが)転載ですから、私の想像ではなく、本当のことだと思います。

 @   夫が失踪し10ヶ月経過すれば再婚が許可されました。
 A   実家に逃げ帰った妻を夫が迎えに行かず、3年間放置すれば離婚が成立しました。
 B   夫が無断で、妻の着物や諸道具を処分すれば、妻の実家からの離婚請求が認められました。
 C   鎌倉東慶寺と上州新田庄徳川郷満寺の尼寺が縁切り寺として公認されていました。
 D   各地方では、各地の権威あるお寺や代官所陣屋、庄屋などに駆け込みがありました。
 E   その他の場所へ駆け込んだ場合、
      藩によっては匿わせたまま私的交渉に任せるか、役所の公的処理をするかの2通りがあった。
 F   前橋藩と熊本藩では、Fの場合公的処理を進めたそうですから、離縁訴訟そのものでした。
 G   仙台藩では、妻が夫の非を訴え、夫が社罰されると自動的に離縁となる法令でした。

現行民法と比較してみましょう。

民法

第770条 夫婦の一方は、左の場合に限り、離婚の訴を提起することができる。
1.配偶者に不貞な行為があつたとき。
2.配偶者から悪意で遺棄されたとき。
3.配偶者の生死が3年以上明かでないとき。
4.配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込がないとき。
5.その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
2 裁判所は、前項第1号乃至第4号の事由があるときでも、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。

上記を順に見ていきますと、
@については、江戸時代には10ヶ月の失踪で離婚できましたが、現民法では770条第1項3号で、生死不明3年経過が必要です。
しかも3年経過したら自動的に離婚できるのではなく、それから裁判しなさいと言うのです。
裁判手続きを経て判決を得て離婚届を出せるのは、4年ほど経過しなければならないのです。

民法
第733条 女は、前婚の解消又は取消の日から6箇月を経過した後でなければ、再婚をすることができない。

そのうえ、女性は、婚姻解消から6ヶ月間は再婚できませんから、(法律上待婚期間と言いいます。)再婚するには、更に半年待たねばなりません。
江戸時代には全部ひっくるめて10ヶ月で足りたのですから、これでは江戸時代の方が、法的にもずっと離婚が簡便だったことが分るでしょう。



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