02/16/05

産み育て働き手としての女性の地位 1

女性は子供を生み育てるところに絶対的な価値があるのであって、それが満たされないなら自由に行動する権利のあった時代の方が長かった筈です。
男性同様に残業できるかどうかに価値の基準をおくべきではありません。
こうした女性の立場からみて、古来から、女性の地位はかなり高く、性的自由もかなり高かった筈です。
これが中国的道徳の精華である朱子学の導入によって、上級武家層で窮屈になり、明治以降は、この無理な武家のモラルを庶民にまで拡大してしまったのですから、人間の本然の姿を無視したいびつな思想を強制した社会だったのです。
もともとサラリーマン社会でない農家などでは、(武士以外は全部そうでした)女性は重要な働き手でしたから、今の再就職同様で、嫁いだ先が気に入らなければいくらでも再婚可能だったのです。
私の母親の世代は(明治生まれです。)そうした歴史を引きずっていますので、同世代の大方の女性は、「自分は如何に丈夫で働き者であったか」の自慢をしたがりました。
徳川時代に人口制限の必要性、緊縮政策の必要性などがあったのは歴史の必然ともいえますが、たまたま徳川氏自身がけちな性格をもっていたのが時代にマッチしたように、(三河のトヨタもケチで儲けています=効率重視と背中合わせです)人口抑制策も、たまたま徳川氏のもともとの性向にあっていたのです。
後ろ盾がないほうが良いと言う考えで、徳川家康以来徳川家は、どこの誰か分らないような身分の低い人を妻に据える傾向があります。
中国の歴史でも、外戚の弊害を除くためにこうした方向に意を払った歴史が有りますが、家康がそういう勉強をあまりしていたとも思えないのですが、経験上身についたのでしょうか?
徳川でも特に秀忠が、性風俗の乱れに敏感で、娘の和子が入内するについて、(後水尾天皇だったかな?)性的にだらしない天皇家と悶着を起こしています。
秀忠が性道徳に何故うるさかったかと言えば、奥さんが有名なお市の方の娘の一人ですから、格式は高いのですが、後ろ盾がなかったところに(織田家は勿論、浅井家も消滅していました)起因するのではないか?と言うのが私の憶測です。
要するに徳川家では、伝統的に女性が経営に参画しないのですから、配偶者は単なる「奥さん」専業主婦になってしまってその地位が低いのです。
これと朱子学の導入・人口抑制時代の到来と結びつけば、上級武家においては子を産み育てる性、働き者の性である女性の地位は、極端に低下するのは仕方ないでしょう。
地位が低下すれば、(形式的地位は高いのですが、その裏づけの実力がない場合と言う意味です。)実力以上の地位の維持が最重要関心事になってきます。



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