02/14/05
遊女の供給源2「女衒」
これまで遊女の発生を、無意識のマルクス史観に影響されて(私が育ったころは全てこういう方向からの解説が殆どでしたので、いつも間にか身についています。)貧しくて親兄弟が「涙ながらに送り出す」と言う設定で書いてきましたが、今のように豊かな社会でいくらも仕事があるのに、売春婦になる女性が一杯いる事実をどう考えるべきでしょうか?
いわゆる高級娼婦は、食うに困っている訳ではありません。
私の知っている事例では、元銀行員や看護婦からソープランド嬢、になっているのもいますし、(勿論、私が知っているだけで、親は知りません。)イギリス女性で何年か前に殺されて話題になった女性も日本で売春していたと言う報道でしたが、まさか食うに困ってやっていたとは思えません。
男の無宿者になる原因を13日の一のコラムで、(跡取の長男でさえ、家を出たままになるのがいると紹介しました)それぞれ個性によるものでないかと書きましたが、女性にも例外ががあったと思うのです。
私が思うのには、どこからも嫁に引き取ってくれないような「感じ悪(わる)」のど田舎の女が、いきなり江戸や京と言う大都会に出て、センスを売り物にする客商売の遊女に成れるわけがないと思うのです。
ちなみにに遊女、太夫の売り物は、セックスではなくセンス、文化を売り物にしていたのです。
妾宅というのは粋(イキ)なものでなければなりません。
「粋(イキ)な黒塀、見越しの松に婀娜(あだ)な姿の洗い髪死んだ筈だよお富さん・・・・・。」の有名なセリフで知られる歌舞伎場面を想い出せば分るでしょう。
以上をあわせ考えますと、もともと女性の中にも地味な生活に合わない女性がいて、そういう女に敏感な女衒がうまくおだてて、たぶらかして(今でいえば芸能界に)都会に連れ出したのではないかということです。
スカウト・ブローカーのことを「女衒」とは、言い得て妙ではありませんか!(「衒」とは、もともと「たぶらかす」と言う漢字です)
要するに、生活苦とは関係なかったのではないかという仮説です。
話を戻しますと、殆どの農家の(遊び好きの)女は、いい事尽くめの話を聞かされて江戸に出ても、滅多に遊郭には就職できず、容貌(きりょう)に応じて、その辺の飯炊き女、風呂屋その他のB、C、D級に順次就職していったようです。
今でいえば、あこがれて都会に出ても芸能人や高級娼婦にはなれず、その辺の喫茶店や飲み屋で働くようなものでしょう。
都会に出た若者の中で、番頭や棟梁にまで上り詰めた幸運な者だけが結婚できたのですが、彼らはこうしたB、C、D級女性の中から気の利いた人を選んで、身請けして所帯を持ったのでしょう。
適者生存の理にかなっていますが・・・・。
ちなみに、大店やお屋敷への女中奉公は、ある程度の良家の娘が行く行儀見習であって、教育を受けたら家に戻って跡取娘か結婚を予定していましたから就職ではありませんでした。
一種の教育のための預かりですから、主人でも手をつけることは許されないしきたりでした。
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