02/14/05
遊女の供給源1「婚期の重要性」
ところで、遊女や身売り関係に身売りするには、14〜5歳が普通だったと言いますので、婚期を逸してからでは遅いのです。
そこで結婚できる女子は早くから予約しておき、予約の取れない女子だけが14〜5歳で引きとられたのでしょう。
幼児期からの許婚(いいなづけ)の習慣を人権無視だと言う人がいますが、合理的な理由があったのです。
源氏物語の「紫の上」ばかりではなく、小さいときから良い人はわかりますし、駄目なのな駄目なのです。(親の責任のコラムでも書きました。)
私が育ったころには、女性に対して何かに付けて「そんなこと(4年生大学進学でさえもそういわれていました)していると売れ残りになる・嫁の貰い手がない」と言う脅し文句がありましたが、こうした恐怖の歴史があるからこそ、効果があったのでしょう。
勿論、女性も今は一人で生きていけますので、そんな脅し文句は流行りません。
東北の冷害凶作で悲惨な身売りがあったかの如く、ものの本では書きますが、そんな偶発的供給では産業として成り立ちませんので、たまたまの冷害凶作かどうかではなく、継続安定供給システムとして社会が出来ていた筈です。
今年から紙幣の顔になった樋口一葉の名作「たけくらべ」を思い起こしても良いでしょう。
そこでは、14歳になるので迎えが来て・・・・という設定ですが、特別に不幸な事態が発生したために遊郭に入っていくのではなく、決まりごとのよう描写されているのです。
風俗産業(遊郭その他)では、女性は14才前後で就職し、20〜21ころには殆ど死んでしまったといわれますので、かなりの回転率で安定供給が要請されていたのです。
正確には、飯盛り女は21さいころまで、遊女の方は23才ころまで生きたと言うのですから、環境の違いが大きかったようです。
遊女と蔑んで言いますが、遊郭の遊女といえば、今でいえば丸の内のOL或いはテレビキャスターばりのエリートだったのです。
「いい玉」という言葉がありますが、現在では相撲部屋やプロ野球が、地方に求人(スカウト)の網をめぐらせているように「いい玉」を求めて、求人網が出来ていたのでしょう。
今でも野球の場合はスカウト、不動産や金融の場合はブローカーなどと名称が違いますが、当時も馬の場合は「博労」と言い、女性の場合は「女衒」と言うなど、それぞれ役割に応じて別の呼称があったのも面白いですね。
ちなみに「いい玉」は滅多にいなかったと言われていますが、(珍しいからこそ「いい玉」なのですから当たり前と言えば当たり前ですが、それだけではなく、)そもそも嫁にいけなかった売れ残りばかりでは、良いのが残っている訳がないのです。
貧しくとも可愛く気立てのいいのは、先に嫁に売れていきます。
もしかしたら、いい玉・掘り出し物は、都会育ちの旗本、御家人の娘や何かの事情で零落した娘だけだったかもしれません。
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