02/13/05

江戸の人口構成4(若者の放出原理)

男のみんながみんな「辛気(しんき)臭い草むしり」などに付き合い切れるものではありません。
大多数の男は、どこか日雇いでも、当面の仕事があれば自分から飛び出していきたい傾向があったのです。
今でも男は、机に向かう事務ばかりでなく、営業とか出張とか会議中とかが大好きです。
諏訪大社の御柱祭などの危険極まりない行事参加の方が、安全な籾摺りよりは楽しいのです。05/22/03「男尊女卑の思想1」前後のコラムでも書きましたが、もともと稲作は女性の仕事ですが、男は飼いならされただけの話です。
高度成長期以降、東北からの出稼ぎが流行りましたが、必ずしも生活苦からだけでなく、外に出る大義名分があったので、よろこんで出かけていた男性のほうが多かったかもしれません。
まして居候で窮屈な生活をしている次男坊が、家から飛び出して、労務者用の飯場小屋での自由な生活を一旦覚えれば、(仕事を終えて帰ってくればみんなで酒盛りしてればいいのですから、気楽なものです。)もう窮屈な家には帰りたくないでしょう。
いまでも、独身者は、勤務先近くのマンションに住んでいて、夕刻仕事が終われば仲間と周辺で飲み歩き、夜中にマンションに帰ってバターン、休(きゅう)の人がいくらもいます。
労務者に限らず、飯場、現場宿舎暮らし(合宿と言う近代的表現も同じでしょう。)が男の性にあっているのかもしれません。
仕事がなくなっても家に帰るよりは、そこで知り合った労働者仲間のツテや噂を便りにどこかへ流れていく方を選んだのでしょう。
男は奥さんがいても、そういう傾向の人が今でも多いのですから結婚できない次男坊にとっては本質的に無宿者になり易いのです。
1〜2年前に扱った離婚事件では、夫は東北電力(たまに東京電力の下請けもやっていましたが)の山奥(日本列島の背骨部分)の鉄塔維持作業員で、結婚後の殆どを山奥から山奥への転転とした飯場暮らしで、半年に一回ほど帰ってくる生活でしたが、そのうち男が帰らなくなってしまったと言う事件でした。
これに比べて結婚できなかった女性は、家でひっそり遠慮してでも(家にいるのは自分のお兄さんや弟ですから、普通は、兄が弟に対するよりはやさしくしてくれます。)暮らせたのが普通です。
嫁にいけなくとも中規模以上農家では、遊女に売るよりは何とかして未婚のまま養って行く努力をしたでしょうから、身売りするのはよほど貧しい農家に限られたでしょう。
以前にも書きましたが、独身若者と同じ数の遊女は要りませんから、男子に比べてその何十分の一〜何百分の一の供給で足りたのでしょう。



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