02/12/05

久離除帳(江戸の人口構成3)

久離除帳の話に戻りましょう。
ところで親族の縁の切り方には、法制史の本によると親子の場合は「勘当」と言い、親族間は「義絶」、家から縁を切る場合、(長男が跡を取っていて次男以下を放逐する場合でしょうか?)に「久離」と言い分けていたようです。
勘当は、親子だけですし、「義絶」は義絶した人同士しか効力がありませんが、「久離」は、大もとの家から縁を切るので親族間も縁切れになる義絶を含むものだったでしょうし、戸籍抹消ですから村の人でもなくなるのです。
除帳されてしまう所以です。
  「このたび、組合親類相談のうえ、久離除帳仕りたくこの段お聞き済まし下されたく・・・・・・・。」
というわけで、次男以下〔といっても3男は大抵中絶(そうは)などで出産しませんでした。)を事実上村から放り出していたのです。
男の子供が江戸その他に働きに出た場合、最初はそれなりの「つて」(郷里出身で成功している人入れ稼業の親分や、お店、越後屋とか三河屋とか)を頼っていったのでしょうが、就職しても仕事が続く人ばかりではありません。
今でもそうですが、人夫、水夫(かこ)など肉体労働者は日雇いが原則ですし、かなり頭が良くて読み書きできる場合は、江戸のお店に勤められることもありましたが、当時は使い捨て社会で、お店の小僧になっても、丁稚、番頭まで残るのはホンのわずかだったとも言われています。
(そうでなければ、同郷というだけで次々送り込まれる人をその都度引き受けきれません。)
すぐにヒマを出されて、辞めてしまうと食べていく当てもないことが多かったのです。
親類一同としては、すぐに飢え死にするわけではない、さしあたりの就職口を決めて送り出すのですが、すぐに首になるのが分っているのですから、何日分の食料を持たせて「運がよければ生き延びてくれよ・・・・」と森へ捨てるヘンデルとグレーテルの話とあまり変わりません。
勿論女子の場合も、飯炊き女、その他能力・容貌に応じて、各段階の風俗へ身売りするのが普通だったといいます。
(それしか就職先がなかったのです)。
もっとも、僻地の大名家では、こんな嘘みたいな届出をのんきに受付なかったとも言われていますが、私が参考にしている「久離除帳」は千葉の例です。
(幕府直轄地ではみんなこんなものだったとも言いますが、特に千葉は、今も昔もいいかげんな社会だったのでしょう?)
ところで、千葉の場合、当時は今の千葉市周辺よりも利根川周辺の方が発達していましたから、おおむね佐原や利根川付近の水夫に雇われたらしいのですが、彼らはみんな無宿者になっていたらしいのです。
今は、住民票がないと採用しないのとは逆に、無宿者にしないと雇ってくれない時代だったのかもしれません。
これから、フリーターやパートが増えると、社会保険その他の公的負担逃れのために同じような現象がおきる(既に起きてている?の)かもしれません。
こうして、若い男女ともに大都会等へ放り出して人口調節をしていた事は、11/15/04「膨大な警察官が必要か?2」のコラムで学者の説として紹介したことがあります。(私の思い付きではありません)



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