02/11/05
不良息子の責任はどうなる?(民法120)
現在でも不良息子が犯罪を起こすと、その親が監督責任を怠ったということで、大方の場合損害賠償を命じられる仕組みです。
江戸時代には、次男以下を都会に出すと、親や親族が責任を逃れるために、前回のコラムで紹介した「久離除帳」という文書を出して、息子を無宿者にしていたのです。
現在でも、息子が何かすると「親の顔が見たい」などと言われますし、社会人でもどこそこの社員や公務員が悪事を働くとその雇い主や上司が平謝りに謝らせるのが普通です。
監督不行き届きというのです。
近世までの村や親族の連帯責任がなくなったとは言うものの、以下に紹介するように、現代ではそれに代わって親や雇い主が責任をとらされる社会ですから、責任者が江戸時代の村じゅうの連帯から、核家族や経営者に絞られただけのことです。
周囲に責任を取らせたいという社会意識は、歴史を引きずっていて、簡単になくなるものではないと言えるでしょう。
但し、今は、近代国家ですから、裁判所は例の「意思責任の原則」に則って、「両親が監督を怠った」「経営者が監督責任を怠った」という自由意思を前提にした認定をするのです。
いくら言って聞かしても叱っても、効き目のない息子に対して、親がどうすればよかったのかの説示がありません。
困った親が全寮制の施設に入れたり、いろいろやってきた苦労を認定しながらも、それでも効き目がなく夜遊びに出る息子に対して仕方ないと「漫然放置していた過失がある」とか認定するばかりです。
「事実の錯誤」のコラムで書きましたが、裁判所の機能は理屈は別として「歴史的に周囲の責任を問うてきたし、今でも最低限親の責任を問う必要があるから、(自由な心証で?)ともかく親の監督責任を認めないと社会が納得しないでしょう。」という開き直りみたいな判決が中心です。
企業に社会的責任として、ある一定の結果が出たときはそれなりの責任をとるのは必要だとは思いますが、子育ても同じ発想で、悪い結果が出た以上は、何が何でも親の責任を追及できるとなれば、親も溜まりません。
最近被害者救済が叫ばれ、被害者が損害賠償請求できるようにしようとする動きが盛んですが、親としては、どうあがいても子育てがうまく行かないことも事実なのです。
天才陶芸家でもうまく行かないのは叩き割るしかないのであって、商品でも植木でも何でも、不良品と言うものはいくら手を掛けても良くはならないのが原則です。
品物みたいに「不良品だから」と捨てるわけにも行かず、苦労に苦労を重ねて育てた挙句、社会から親の顔を見たいと指弾され、そのうえ、天文学的な損害賠償を請求されたのでは、親の方は身も心も持ちませんよ。
親も一定の責任を持つとしても、被害者救済制度の充実をはかり、社会でそうした責任の大半を持つべきではないでしょうか?
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