02/10/05
江戸の人口構成1(江戸には江戸っ子はいなかった!)
戦時ではありませんが、江戸開府にあたっては、建設需要から始まりましたので男ばかりが集中したことが、売春婦の発達を促したたのですが、これが一段落すれば本来は消滅するべきものでした。
(千葉の高度成長期の模様は01/15/05「売春防止法2(千葉の場合)」のコラムで紹介しました)
ところが、江戸の人口の大方を占めた江戸詰の各藩の侍は、各地からの単身赴任者でしたし、 町方でも以前11/15/04「膨大な警察官が必要か?2」または、01/13/05「公娼制度3(吉原と夢の島)」のコラムで書きましたように、結婚できる男はほんの一握りだけで、殆どの男は独身のまま一生を終えていたのです。
男の殆どが独身のまま死亡する社会では、自由恋愛しようにも、商売女以外には町には大店のお嬢さんか、どこかの奥さんしかないのです。
庶民独身の男性の相手になるべき、庶民でかたぎの女性がいない社会だったのです。
番頭さんや大工で言えば、棟梁まで出世してやっと結婚できた社会(今のフリーターでは駄目)ですから、そこまで出世しない末端店員や大工見習では結婚できず、当然彼らの子供も生まれませんから、江戸には庶民の「江戸っ子」がいなかったのです。
若者は、全て田舎からの流入人口でなり立っていたのです。
要するに成功して経営者クラスにならなければ、みんな独身のままだったのですから、食い詰め男性の交際相手になるべき庶民の女の子も生まれようがありません。
話が変わりますが、江戸と言う町は、町方には子供の殆どいなかった不思議な社会だったといえます。(旗本、御家人は別です)
じゃあ、独身の男はどこから湧いてくるかというと、田舎の次男以下が食い詰めて、いくらでも都会に出てくる仕組みで、(いまの上海みたいですね)一種の姨捨・人口調節の社会だったのです。
古文書に良く出てくる、「久離除帳」をちょっと紹介しましょう。
(たまたま私に家にある古文書の写しの抜粋ですが、本物は勿論グにゃグにゃの崩し字です。)
『右の者、常々家業怠り身持ち宜しからず・・・・・不図〔図らずも)罷り出で、立ち帰らず候に付き、遠近心当たりそれぞれあい尋ぬるも行方あい知れ図りがたく・・・・・・・」
実際は盆暮れには帰ってくるなど、行き来があったのですが何かあると困るので建前上こう書いたのです。「・・・よっては行く先々で何ようの後難出来(しゅったい)候も斗(はかり=図)り難く・・・・・・・」当時は刑事の連座責任はどしどし緩和されていきましたが、何か訴訟などあると村中で事実上連帯責任がある時代でした。
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