02/08/05

貞淑観念の発達の歴史1と風俗産業の盛衰

わが国庶民の性風俗は、明治まではかなり自由なものであったのですが、明治以降家制度の強調に連れて、急速に女性に対してだけ厳しくなって行ったのです。
女性にだけ適用される刑法の姦通罪は、男女同権に反すると言う理由で戦後削除されましたが、この条文をみれば、戦前は女性にだけ刑事処罰まであったのですから、女性にたいする貞操観念の強制が如何に厳しかったかがわかります。
男性には貞操を求めない偏頗な道徳であったことも分ります。
明治以降は、女性だけに貞淑観念を強制して、男性に強制しなかったのですから、男女比がほぼ同数であれば、数が合わなくなってきます。
そこで、政府は風俗産業を大々的に奨励し?明治までは遊郭は江戸や京、大阪にしかなかったのに、全国津津浦浦にまで発達させたのです。
(今ではどんな田舎にも風俗または類似産業がありますよ!)
明治以降の女性だけに対する貞淑観念の強制は、売春業の大々的拡大で(売春婦は複数男性を相手に出来るから)数の上では一応バランスが取れていました。
最近では商売〔女)がなくなってきたうえに、風俗へ遊びにいくのも、こそこそしなければならない時代になると、バランスが取れなくなってきました。
結婚している男性にとっては、貞操観念の発達の裏返しで、(女性に強要しているうちに、女性が男性にも要求するようになったと言うわけです)買春に行きづらくなって来たことは、これまでも書いてきました。
ところで独身男性までもが、風俗に行くのが何故恥ずかしく、肩身が狭くなるかというと、江戸の町には、これまで書いて来たように、独身男性ばかりで、(妻帯者も各藩出身者は単身赴任者が多かったのです)まともに交際するべき女性のいない社会でした。
少し金が溜まったら、みんなで勇躍して吉原(庶民はそこまで繰り出せませんし、行ってもなじめなかったので、深川その他のB級C級で満足していました。)などにグループで出かけて一世1代のエネルギー発散をして来るのは、それこそ男の甲斐性と言うものでした。
当時の遊女の寿命は21〜22歳、江戸に出た男子も多分似たものだったようです。
魚と同じで一生に1度の性を堪能すれば、後は思い残すことがないという時代だったのです。
戦時中の出撃直前の特攻隊員や出征兵士も似た心境だったかもしれません。
お陰で戦争未亡人が一杯出来たのです。
戦前は、「男女7才にして席を同(おなじ)ゅうせず」と言う変な漢文を持ち出して、庶民にまで窮屈な思いをさせてきましたが、戦後は、身分違いによる公式拒否がなくなり、そのうえ、男女共学などで思春期に至っても席が隣同士で勉学に励めるようになったばかりか、婚姻適齢期においても男女ともに会社勤めなどでいくらも接触、交際するチャンスが認められるようになったのです。
男女共同社会になってくると、独身男性にとっても風俗で性欲を満たすというのは、異性にもてない代名詞みたいですから、格好が悪くて友達に言えませんし、こそこそと行く対象になって来たのです。
現在社会は男女共同参画社会で、いくらでも相手がいるとは言っても、フリーターでは性関係まで進むのは難しいので、実際上欲求が満たされません。
今では風俗をおおっぴらに利用しているのは、最末端下層労働者および、水商売関係者、暴力団員またはその周辺者にとどまっているのではないでしょうか?
こうなってくると、ホワイトカラー系の若者は、彼女作りに精出すしかないのですが、それがイマイチうまく行かないのです。



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