02/04/05

「無罪の推定」刑法29(錯誤論争の合理化)

「無罪の推定」と言う言葉をご存知でしょうが、これを憲法原理だとも言いますが、実務上で言えば無罪が推定されると言う意味は、「検察側が有罪立証しなければ無罪になってしまう」と言う刑事訴訟法の運用ルール(証拠法則)を表したものです。
この児童買春ポルノ禁止法第9条の条文では、検察側ではなく被告人が、自分の無過失すなわち無罪を立証しなければならなくなったのです。
児童保護の重要性と、年齢が分からなかったと言う言い逃れが簡単に成立できる性質が(法律の錯誤もそう言う傾向があるのです)このように「誤解したと言うだけでは駄目ですよ」と言う法律の成立を促進したのでしょう。
年齢の誤解は法律を誤解したものでないことが明らかですから、理論上は「事実の錯誤」である筈です。
事実の思い違いについて、すなわち、故意がなかったことについて、被告に主張・立証責任があると言う明文の法律の登場は、立証責任逆転の突破口として将来は歴史的評価を受けるかもしれません。
ただし、「無罪の推定」が憲法原理だとすれば、憲法違反の論争が起きそうですが、今のところ私は勉強不足で?聞いていません。
ところで、1月16日に紹介したように年齢の錯誤は理論上は事実でしょうが、何しろ判例は処罰の必要性が基準ですから?法律の錯誤か事実の錯誤かどちらに転ぶかは、裁判して見なければ分りません。
しかし、この特別規定のせいで、事実の錯誤だから無罪だと争うことが出来なくなって、判例次第で無罪になる可能性(楽しみ)はなくなりました。
その代わり、仮に「法律の錯誤」と言う判例になれば、法律の錯誤の場合、無過失立証をしても有罪となってしまうのが従来の原則ですが、この条文のお陰で無過失を立証すれば無罪になると言う利益があります。
無過失の証明と言うことは、こういう状況ならば本当に誤解したのは間違いないし、仕方なかったと言えるような状況のときに、過失がないと認定されるのでしょうから、「免れて辱なき徒」をのさばらせることにはならない点でも合理的です。
こうしてみると、年齢の錯誤については明文規定が出来たお陰で、単に「錯誤でした」と言うだけでは有罪となりますが、過失がないこと、すなわち本当に誤解し、しかも「仕方ない事情の結果、誤解したのだ」と認められる人だけが無罪になると言う訳で、真実善良な被告人は救済されるのです。
裁判しててみなければどちらに転ぶか分らない錯誤論争を、予め合理化した法律ともいえるでしょうし、私が主張する主観面の立証責任の転換を法律で明記した画期的なものと言えるでしょう。



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