02/27/04

足高の制の功罪2(身分制度の限界1)

地位(身分)の上下は、発足当初は初代の功績によって生じたものですから、格式と能力は一致していたのでしょう。
例えば、石田光成挙兵の報に接したときに、上杉討伐軍に参加していた諸将は、まだ西軍に付くか、中立になるか、或いは徳川に付くか互いに顔色を窺い合う段階がありました。
前回のコラムで、こういうときに慌てて「では帰ります」といえば血祭りに挙げられる説明をしました。
山之内一豊は、豊臣の家臣でありながら、このとき率先して自分の居城を家康に差し出す提案をして家康味方の流れを作った功績で、掛川城主(7万石前後と思っていましたが、1昨日掛川市へ行ったついでに掛川城へ寄ってみましたら、5万石と書いてありました。)から土佐20万石の太守になったのですから、それだけの能力・才覚があったと言えます。
これに対し、上杉のように何かやればその都度、順次領地が減るのは、言うのも気の毒ですが、やはり「生き抜く才覚に乏しかった」と言うしかないでしょう。
しかし、時代の進展によって、必要とする能力に違いが出てくることと、何世代に跨ると、お祖父さんと孫が同じ能力を持たないことのほうが多いものです。
当初能力によって獲得した地位を、身分と言う制度にして固定すると次第に身分と能力が乖離してくることは避けられません。
豪傑の子孫から柔弱な男子も生まれますし、学者の子供でも、運動神経の優れた子供が生まれるでしょう。
吉宗の始めた足高の制は、根本原因である身分制に手をつけずに「家格が足りないなら足し高で家格を上げればいいだろう」と言う安易な発想ですから、却って矛盾を大きくしてしまったのではないでしょうか。
婚姻制度の矛盾解決策として、家格をあわせるために形式的に養女(猶子)にしてから入内させる古来からの発想と同じです。
養女の場合は、名目だけですから家禄が一方的に増えて行く弊害はありません。
インフレないし、経済構造の変化で、家禄の中心をなす米の比重が下がったことを利用して、既存権益に手をつけずに役料だけ上乗せしようとしたのは一種のごまかし政治でしかありません。
戦後政治は、インフレの連続と高度成長をいいことにして政治家は、削ることはせずに、ただ足し算ばかりで誤魔化してきた「ツケ」が低成長になって出てきたのが、この十数年でした。
勿論少しは削った分野もありますが、私は大きな流れを言っているだけです。
吉宗の足し高制は、世襲的な役料は削ったようですが、基本的考え方は、文字とおり「足し算」でしかないのですから、能力のある人が出世できるように養子縁組を利用するよりも、ずっとレベルの低い話です。
悪く言えば、現在の事なかれ政治の先祖みたいなものでしか有りません。
官僚組織創設者と言うだけでなく、「足し算政治の創始者」と言う名誉も与えなえばならないかもしれません。
ある分野に新規に予算をつける以上は、既存の分野からその分だけ削ってこそ、政治であり改革という名に値すると言うのが私の考えです。
既存分野の予算をそのままにして、自分が望んでいる分野に新規に予算をつけてくれというのでは誰も痛みが有りませんから、どうしても野放図になりがちです。
この考え方は09/26/03「教育改革・・・・明治維新と学制改革 4(文部省)」のコラムでも書いています。


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