02/26/04

与力 (寄り騎)8と足高の制の功罪1

話がかなり遠くなってしまいましたが、江戸時代にも、奉行や目付けその他は、自分の職務を行うのには、自分の家禄の中で養っている家来を使って奉公すべきものであったことは、平成16年2月21日の「江戸時代の裁判2 与力 (寄り騎)3(本能寺の変)」のコラムで書きました。
役職は世襲制ではなかったのですが、地位の高い重要な職務は、おのずから大身の旗本や大名しか就任できない弊害が現れて、人材登用が出来なくなってしまったのです。
この弊害除去の為に、吉宗が1723年に始めたのが、「足高の制」です。
足高の制とは、例えば3000石の旗本程度の家来の数や財力がないとできない仕事を、1千石の旗本にさせるときには、不足の2000石を役料として支給する制度のことです。
前記のコラムで説明したように、人材登用、実力主義のために始めた足高の制でしたが、今度はお父さんが役職を辞めると、息子は、無役からの出仕ですからいきなり家禄だけになってしまいます。
そうなると地位相応に召抱えた家来を首にしなければならず、膨張した生活の維持ができないので職にしがみつくことになったのです。
これに対して、寄り騎と言うのは、ある仕事をするのに100人の人数が必要なときに、命じられた人の家来が50人しかいないときに、家禄を倍にするのではなく、不足の人数を応援させる制度のことですから「足高の制」と考えは似ていますね。
現在社会で,課長から部長になると部下が増えるのとも似ています。
吉宗は地位の上昇にあわせて、公務員たる部下(配下)を増やさずに家禄を増やして、自分でその必要な家来を召抱えさせ、屋敷を大きくさせたのですから、簡単に引退できなくなるのは道理ですよね。
この結果、親がなかなか隠居しない時代となって、息子は40才過ぎても家督を継げずに無職で部屋住み(独身)のまま、何の経験も出来ないと言う時代がやってきたのです。
現在親が大会社の部長または専務で、まだまだ働けると言って頑張り、息子世代ががフリーターになっているのはこの時代に再来です。(フリーターがあるだけましかな?)
吉宗は、家禄を加増せずに奉行など限られた職務だけでなくいろんな職種に与力関係を増やして、小身の旗本でも小身のままで役職につけるようにすればよかったのかな?と「後知恵」では思いますが、それではやる気が起きませんので、ほんのちょっとだけ役職手当を加増するくらいにすべきだったのでしょうか?(現在の課長手当てなどと同じ発想です)
でも、そうすると50石取りの家格の者に500石取り1000石取りの上級武士が命令されると言うことになって円滑にいかなくなってきます。
ここまで話しが進めば明らかとなるのは、人材活用を出来なくしていたのは、家格・格式ばかりうるさく言ってきた身分社会の弊害が、問題の本質にあったということです。


今日の読み物間連:




関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

稲垣法律事務所コラム内:江戸に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:世襲に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:身分 に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:中世 に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:幕府 に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:役人,官僚に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:戦国 に関するコラム


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資