02/19/04

江戸時代の裁判1(出入筋と吟味筋)与力 同心

ついでに裁判担当部署を少し紹介しますと、奉行所では、出入筋と吟味筋に別れていて、吟味筋というのは、刑事事件を扱い、出入筋というのは今の民事事件を扱っていました。
現在では「出入り」と言えば、やくざ物の出入りなど、むしろ刑事関係のように思いたくなりますし、吟味と言えば、じっくり味わうのですから、「出入り」よりもなお民事に近いように思いますが、江戸時代には吟味と言えば、刑事事件だったのです。
各奉行に、与力25騎、同心各50人、後には、140人程が属していて、これが吟味筋与力と出入筋与力などに分業して行ったのです。
ところで、皆さんは与力と同心の区別をご存知でしょうか?
与力と言うのは、平均石高200石前後を得ていたれっきとした武士(ですから何騎と表現します)ですが、同心は30俵何人扶持と言う給金を貰う一種の足軽階級でしたので身分差が画然としていたのです。
ただし与力は、1代限りのお抱えとされ、旗本とは言われず知行地はなく、上総下総内(現在の千葉県)で、与力知行地として纏まって存在していて、幕府から知行米を配給されていたサラリーマンでした。
ただし、実際は1代限りとはいえ、子供が見習でお勤めに出て、一定のお金を貰って部屋住みをし、親が隠居をすればその後を継いで順次出世して行く仕組みでしたから、建前は別でしたが、事実上の世襲制でしたので旗本に似ていたのです。
むしろ旗本よりも、合理的な現在的な官僚でした。
と言うのは、吉宗以来家禄よりも役料のウエートが高まってくると(足高の制など)、親が引退しても子供がはじめから、親の就いていた上役にはなれませんので、(世襲制の説明でもしましたが、地位は世襲できませんでした。)最初は家禄だけになって収入が大幅減少してしまいます。
そうすると食べていけませんので、親はいくつになっても・死ぬまで役職から引退しなくなって、息子は40になってもお勤めに出られない、当然無収入ですから部屋住み、独身のままですから不良になっていたらしいのです。(お奉行の息子が不良なんて笑えない事態にっなていたのかな?。)
こうして後進が出世できない弊害・老害がはびこって大変な事態になったと言われています。
吉宗による実力主義が思わぬ結果を生んだものです。
似た現象は、現在社会でも起きています。
今の若年層の苦境は、老人が定年延長でいくつになっても働くから、その分若年層の仕事を奪うことになっているのです。 
国民総生産が同じで、生産性が同じであれば、定年が一年延長されればその分若者の仕事が1年分なくなる理屈ですから、ここ10年来の低成長下で55歳から順次定年を延長してきたのは、若年層にとってはものすごいダメージだった筈です。
こうした点は、平成15年1月8日の「ゆとり生活2」コラムで書きました。
この点親が引退するまで、同じ役所で見習をしてこずかい程度の給金を貰って次第に実務を体得して行く仕組みは、合理的ですね。
現在のように若者を遊ばせて置かないのです。
ただし。親が引退してくれない限り部屋住みである点は、今のパラサイトシングルと同じ問題はありましたので、何時までも結婚できなかったそうですよ。


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