02/13/04
最後の将軍慶喜も、水戸家出身ですから、理屈は達者だったかもしれませんが、領国経営の実際政治を全く経験していないのです。
こういう人が幕末の大混乱期に最高責任者になっても、海千山千の老獪な政治家に翻弄されるばかりだったでしょう。
政治学者が、いきなり総理をやれますか?と言う視点です。
ここで、光圀の生きた時代の政治状況を紹介しておきましょう。
保科氏と光圀は同じく家康の孫世代ですが、保科氏が年長でしたので当然光圀は、保科氏には頭が上がりません。
保科氏の方がご老公です。
その分保科氏が先に1670年代に死亡しており、徳川光圀は元禄時代の1700年ころまで生きています。
ただし、後見役保科氏の死亡後は、大老酒井忠清のほぼ独裁体制でしたので、光圀が口出しできる状況ではありませんでした。
4代将軍には子供がなかったので、死亡時に綱吉擁立か、或いは鎌倉幕府のように都から公方を迎え入れて家臣団の合議で運営して行くかで、おお揉めになったことがあります。
長子相続制で、3歳でも4歳でも将軍になれるという仕組み及び将軍候補者が政治体験を全くできない制度ですと、実権は老職に移らざるを得ません。
もしも綱吉みたいに経験も能力もないのに自分でやろうとしますと、政治が混乱し、革命の危機を招いてしまいます。
そういう意味では、大老酒井の意見は意外にもっともなことでした。
こうした将軍家内部の問題でさえ、御三家は全く意見聴取されず蚊帳の外で、大老酒井忠清と老中らで激論が戦わされただけでした。
結局血縁が一杯いるのに、よそから連れてくる必要がないと言う常識派が勝って、綱吉が将軍に擁立されました。
樹立の経緯から、酒井忠清は失脚し綱吉担ぎ出し派だった堀田正俊がその功績で大老になり、以後は、彼の独裁体制となってしまいました。
ここでも光圀が口出しできる状況ではなかったのです。
そのころから老中は、単なる諮問機関になってしまったと言われ、老中の地位は極端に低下してしまったことが、次の側用人政治台頭の伏線となるのです。
堀田がやりすぎて稲葉正休に刺殺されたものの、老中の権威を復活させず、綱吉は館林時代の家老柳沢吉保を側用人として登用して親政することになりました。
これが側用人政治の始まりで、以後、有名な田沼政治までつながって行くのです。
以来、綱吉に意見できるものはなくなったので、柳沢を相手に「生類憐れみの令」その他独りよがり政治にのめりこんで行くのです。
ここで再び牧英正・藤原明久編日本法制史の権威を借用ますと、この本でも幕府の職制として大老や老中、三奉行、側用人が出てきますが副将軍と言う職制は紹介されていませんので、「副将軍などはなかったのではないか?」と言う私1人の独創的思いつきはまんざら誤りともいえないと思いますよ。
漫画やテレビのように光圀が、副将軍として綱吉をいさめる力があれば、生類憐れみの令は一回で終わっていて、これが23年間に亘って次々何十回と発令されなかったはずです。
それどころか、前回のコラムで書きましたように史実では、逆に水戸家の失政の責任を問われて隠居を命じられたのが光圀です。
副将軍就任どころの話ではありませんよ。
綱吉は、死に臨んで、後継ぎ指名の条件に、「生類憐れ身の令」の続行を遺言までしているのですが、誰一人「やめときな」とはいえなかったのです。
明治22年ころからはじまった講談や、娯楽本で誰かが面白おかしくするために無役なら「副将軍」でいいだろうということにしただけではないでしょうか?
今でも歴史小説では、筋を面白くする為に、歴史上存在しない女性や創作的な人物を介在させることは良くあります。
それが実在のように一人歩きすることもありますが、副将軍もその一種ではないでしょうか?
今の自民党でもそうですが、副総裁とか副総理と言うのは、(落選前の山崎氏など)無役というかラインから外れた大物につける名称です。
アメリカの副大統領もライン上の無役と言う点は同じですが、副大統領は、大統領死亡時には大統領に昇格します。(例えばケネデイからジョンソンへ)
ところで「副」と言う役職にはスペアーとしての意味がありますが、蝦夷征伐の大将軍あるいは〇○軍の大将と言う実戦の場合、戦闘中の不慮の死がありますので、常にスペアー指揮者が必要です。
徳川将軍家の場合、形式的な地位ですので、戦闘中の軍を副将軍が纏めると言う仕事もなく、死亡すると同時に相続が発生してしまいますから、スペアーとしての副将軍が将軍に昇格する余地がなかったのです。
こうしたことは各藩の藩主についても同様です。
将軍や藩主の地位が選任制度ならば、欠けたときに、次ぎの将軍や藩主の選任までの臨時職務としての「副・・・・。」という役職が必要ですが、死亡と同時に相続が発生してしまう江戸時代には、副将軍・副藩主と言う役職が生まれる余地がなかった筈です。
そういう意味でも、水戸光圀ないし水戸家の歴代藩主が副将軍だったと言うのは眉唾と言うことになります。
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