02/06/04

上杉家の悲劇(戦国時代と平和な時代)

保科氏は、上杉家にとってありがたい岳父でしたし、浅野家にはこうした後ろ盾がなかったことから再興が認められなかったともいえます。
ところで、話しにはその先と言うか前があるのです。
上杉家では、関が原で負けて、存続の危機になったので幕府要人(どころか将軍の後見人として実際に幕政を仕切っていたのですから将軍以上の権力者でした。)の保科氏の娘を迎え入れ、妹は高家の吉良家に嫁入りさせたところまでは良かったのです。
その後保科氏の側室腹の娘が、関が原後では上杉よりもずっと格上になった加賀前田家への嫁入りが決まったのです。
1月28日のコラムで「毒殺の流行」を書きましたが、保科氏の正室はこれが許せなくて、その娘の毒殺を企みました。
ところが悪いことは出来ないもので、実の娘・上杉家へ嫁いだ娘がちょうど里帰りして来て、彼女が毒入りのものを誤って食べて死んでしまいました。
似た話しでは、中国の歴史で、呂后(沛公・漢の高祖の糟糠の妻です。)が、夫死亡後やっと皇帝にした自分の息子が、妾ばらの兄に敬意を表するのが口惜しくて、毒殺しようとします。
勿論相手は警戒して、滅多に食べ物は口にしません。
そこで皇帝たる息子に敬意を表するように乾杯を強制したところ、息子の恵帝が気を利かして、自分が先に乾杯しようとしたので驚いた呂后が猛然と飛び掛って息子のグラスを叩き割ってしまったのです。
危ういところで命拾いした王子は、そそくさと領地に逃げ帰ったと言う故事があります。
恵帝は、儒教道徳に染まっていたので、兄に敬意を表すべきと言う考え・日本では小松の中将重盛の先輩にあたるでしょう。
いつの世にもこういう政治の実際(食うか食われるか)を理解しない「うつけ者」がいるものです。
またもや、話しが横に飛びましたが、毒を飲んだ保科の正室の娘が保科家内で死亡していれば、急死として有耶無耶に出来たでしょうが、昔の毒はそう早くは効きません。
上杉家に帰ってから苦しんで死亡したので、どうしたことかと大騒ぎになり、ことが公になってしまい、この正室が処罰されてしまいました。(お陰で歴史に残っているのです)
権勢家から娘を貰っていた上杉家としては、跡取が生まれていなくとも、遠慮があって側室も置けなかった状態での奥さんの急死です。
直ぐ再婚すれば、せっかく後ろ盾となった保科家との縁が切れますので、困っているうちに当主が死んでしまって、断絶と言う憂き目に遇ったのです。
紀州家の長男が、綱吉の娘を嫁に貰っていたため、綱吉の次に将軍になれるかと言う期待を抱いて、側室を置くとことも養子も貰えず、跡取がないままでいたところ、毒殺されて吉宗に藩主の座が回ったのも似た事例です。
こうした気配りばかりしているうちに、上杉家としては、後継ぎのないままとなってお家断絶の危機に見舞われたのですから、保科氏と縁組したのがよかったのかどうかと言うところです。
功利的な行動と言うのは、えてしてこういう結果を生むものです。
吉良家から貰った綱憲は、僅か3歳であったことから、実父吉良上野介義央が藩政に容喙するようになって、財政難に苦しむようになったといわれています。
その上に、赤穂浪士との争いにまで巻き込まれては大変ですから、上杉家としては大変な危機の連続でした。
この吉良上野介義央は、浅野内匠頭に切りつけられた人で何かと問題のあったと言われている人ですが、忠臣蔵のコラムで紹介したとおり、幕府の悪宣伝だっただけかもしれません。
いずれにせよ、上杉家はジリ貧の連続で、何代か後の有名な上杉鷹山の登場となるのです。
上杉家は、戦国時代を何とか生き残りましたが、豊臣政権になったときに、負担を嫌って実高200万石を120万石と少なめに報告したところを突かれて、同じ120万石の会津盆地に国替えを命じられて、実質的に大幅な減封になってしまいました。
関が原では前記のとおり負け戦で120万石から30万石に削減され、今度は体制べったりで行こうとすると、断絶騒ぎとなりました。
明治維新のときにも、奥羽列藩同盟の主だった藩の一つとなって朝敵になるなど、やることなすこと結果がうまく行かなかったですね・・・。
藩祖謙信さんは強かったかもしれませんが、好敵手信玄に比べて、かなり古風な信念・行動形態の人でした。
それがまた魅力でも有るのですが、その伝統を守っていたのでは、政治的立ち回りが必要な時代には向かなかったのかもしれませんね。




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