02/07/03

直接民主主義の可能性2

日本のように国民一人一人の教育水準が高い先進国になると、国民の殆どが学歴のない19世紀に考えだされた間接民主主義を、金貨玉条のように、墨守する方がおかしいのではないかと言うのが今回の意見です。
何時の頃かはっきりしませんが、ヨーロッパでは文盲率は高くて、文字の読めない国王がいたくらいですし、今でも平均レベルはかなり低い事から、エリートと、非エリートの大きな格差が社会的に是認される下地があると言われています。
またギリシャローマの民主主義と言っても、特権的な『市民』だけの民主主義であって、圧倒的多数は民主主義の当事者ではなかった事は周知のとおりです。
また何千年の歴史と言われる中国が、日本のように時代ごとに社会が変わらず、毎回同じ統治形態で長い間停滞していたのも、文化は士太夫と言う一握りの階層が独占していて、一般人は、何千年の歴史に参加しないで来たのも大きな原因だと私は思っています。
平均レベルの低い国や地域においては代議員に一任すると言うやり方は、一つの合理性があったでしょう。
しかし我国は、時代とともに地下人の中から武士が台頭し、更に町人が台頭し、労働者も、すぐに、サラリーマンとなって大学に行くようになるなど、庶民の向上意欲は、凄まじいものがあります。
このように考えると、知能レベルの格差の大きい社会に妥当する間接民主主義を導入して、その真似さえすれば、民主主義の優等生になれると言う発想がおかしいのですよ。
何しろ、日本では『乞食までスポーツ紙でなく朝日新聞などを読んでいる』と言って、何十年か前に国際的な驚きになっていたくらい、平均的レベルの高い国です。
これに大して政治家のレベルはどうでしょうか?
例えて言うのは気の毒ですが、小淵前総理の娘さんが、政治修行していた訳でも、何か特別な識見があると言うのでもなく、単に前総理が突然死亡したと言うだけから後援会存続の思惑その他によって担ぎ出されて、代議士に当選しています。
彼女がそこの選挙民よりも、格段の能力があると言う訳でもないのが明らかなのに、選挙民の意見に拘束されず、代表として自由な意見を述べて法律を生み出す権能を有しているのです。
このように、現在の代表選びは、一般人よりも格段に優れていて国民が一任するに足りる人物だから選任されるのではなく、他の病理現象的要素を中心にして選ばれているのが殆どです。
国民の平均的レベルが上がって来て、『そもそも、格段に優れた人などはいないのだから、
どうせ誰でも同じなら、情実の通り易い人が良いに決まってるだろう』と言う開き直りの末期的現象になっているのかも知れません。
選挙のたびに、『誰に入れてもどうって事はないしなあ』と言う選挙民の諦め的な感想を聞くようになってから、もう何十年も経ちますね。
選挙民と立候補者との間に、能力的な差がなくなって来ていたのかも知れません。
そうなったら、能力差を前提とする代議員制自体を見直すべきだったのです。
それを怠っていた為に、投票率は下がる一方となり、他方政治家は、どうせ国民は自分達に期待していないのだからと、親に期待されない不良少年みたいに、国益よりも利権の為に精出す事になってしまったようです。


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