02/05/03

公務員制度と政治のモラール

お正月以来、私は戦後の仕組みの変革と言うよりも、明治政府以来の考え方や仕組みを変革すべきではないかと言う論旨を何回か書きましたが、官尊民卑思想の変革の為には、もっと前の江戸時代から育んで来たお役人様=お上と言う意識構造の改革が必要なのではないかと思っています。
日本の官僚制は、徳川吉宗の時代に確立?と言えるかどうかは自信がありませんが、その頃から発達を始めたと言われています。
役人と言う概念も吉宗の改革のころから発達したように思いますが、いつものとおり、うろ覚えですので、アシカラズ。(足し高の制・・・役料・・役人)
その後、明治から現在に至るまで、発達し続けて来ました。 
その間に政体は色々変わりましたが、官僚機構そのものは、変更を受ける事なく現在に繋がっているのです。
江戸時代から今日に至るまで政府の役割が大きくなる一方ですから、(例えばこの数年で新しく追加された大きな分野は、介護保険、介護士等です)これに連れて、公務員(役人)の権限も拡大する一方です。
革命や戦争責任、政策の失敗で政治家はくびになりますが、政策立案や企画を実際に担っていた公務員(役人)は全く責任を取らない仕組みです。
最近の例で言えば、橋本内閣が、増税路線の失政責任を取りましたが、この政策を推進した役人層は一人として責任をとらなくても良いのです。
たとえば、ライ病患者を合理的な根拠なく長年隔離していた責任を誰がとったのでしょう?
お偉い役人の発案で『ライ予防法』と言う科学的根拠のない隔離する仕組みを作っておきながら、しかもその問題点が分っても、なかなかその非を認めようとせず、熊本地裁で裁判に負けて始めて、認めると言うしぶとさです。
ライ病患者の隔離政策は干拓事業や長野県のダムのように、癒着するような族議員・利権もないようですから、官僚機構そのものの面子の為に歴代内閣が戦わされて来たのでしょう。
私はこの頃思うのですが、役人はやりかけた事業を絶対にやめたがらないのは何故か?と言うと、利権団体が反対すると言うのは国民の目をそちらに向ける作戦で、本当は、非を認めて止めると立案者が責任を取らなければならなくなりますが、干拓事業など、何十年も争っているうちに、関係者は死んでしまって、誰も責任を取らなくても良いから、すなわち得意の先送りではないでしょうか?
ラい予防法などはまさにそれです。
悲惨な被害者の救済よりも、自分達の責任が少しでも先延ばし出来ればいいという動機としか考えられない行動ではありませんか?
今では責任を取るべき人は、既にいなくなっているのです。
彼等役人は、裁判で争うかどうかは、政治家の決済を得ているから自分達に責任がないと言う論理でしょうが、彼等官僚が立案したのを、99%以上ゴーサイン出すのが大臣の実態ですから、図々しい逃げ口上と言うべきです。
小泉さんのような人でも、役人の作った演説草稿にほんのちょっぴり自分の言葉を挿入したら、新聞が大きく報道しているくらいですから、日常的な決済文書にマトモな意見を言う機会等、1%もないのが実情でしょう。
民主主義であろうと独裁であろうと、政治と言うものは、政策遂行に問題があれば遂行者が責任を取るのが鉄則です。
責任を取るのは、官僚機構の傀儡となっている政治家だけで、政策を遂行した官僚機構は温存と言うのでは、失敗に学ぶ事も出来ないばかりか、国家的モラルが頽廃してしまうでしょう。




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