02/02/03
役人と民間人(公務員は指導者か?1)
役人とは言わず、今は、公務員と言いますが、彼等は、民間人と自分達は、同じ日本人とは思っていないかの様に民間人と区別したがります。
戦後、民主国家になって、役人から公務員すなわち公僕(パブリックサーバント)になったと言われても、意識下では、一段高い地位にあると言う誇りを持っているからでしょう。
いろいろな会合でちょっとした議論をしている時に、こういうのは民間に任せたらどうかと言うとき、提言している識者自身が、この程度の事は任せてもいいのじゃないかと言う基本的な考え方ですし、これを聞く公務員の規準は、『下働きなら任せても良いが、』という基本姿勢ですし、国民も、そう言うものだと言う意識で議論しています。
私一人がとんでもない議論をしてしまいそうな気がして、大勢順応型になって、その範囲の議論に参加していますが、いつもおかしな考え方だなあ、と言う疑問を持っていました。
また個人情報保護に関しても、役所が管理するのは問題ないが、民間に委ねるのはどうのこうのと言う議論に直ぐなります。
私は、公務員も同じ日本人なのに、『何故公務員なら良くて、民間ならいけないのか?』と口を挟みたくなります。
これからは何でも、公的機関がやるのではなく、民間の自主性に任せるべきだと言う議論がありますが、彼等や議論参加者は、役所の下請けをやらせようと言う発想です。
民間に移行した仕事を少し思い浮かべれば分かりますが、一番最初に移行したのは、誰でもいやがる、し尿収集やゴミ収集からでした。
建設、土木工事の現場作業部門も最初から民間に請け負わせるやり方でした。
しかし、これらは、すべてお上の監視体制下で任されるのです。
請負契約の場合は、その契約の性質上、発注者が指示命令出来る事になりますので、殆どの場合、この形態の民間委託となります。
私の疑問点は、『何故、公務員が発注権限または究極的な監督権を握っていなければならないか?』と言う事です。
公務員が握っている限り、自由な発想もそこで『妥当かどうか』の篩にかけられてしまうので意味が減殺されてしまうからです。
公務員的妥当性にこだわっていたのでは新機軸は生れないからこそ、民営を推進するのではないでしょうか?
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