02/01/03

刑事訴訟手続きの形式化(無修正主義の問題点7)

『議会制民主主義とは 1』のコラムで、国会運営が、多数決原理の濫用によって、形骸化している事を書いて来ましたが、刑事訴訟手続きにおいても、同じ事が起きています。
国会で野党の意見は聞いても、どうせ最後は多数決で決まるんだから仕方ない、と言うのに似て、弁護士の意見は聞きたがらず、頻りに時間制限をします。
弁護士には時間がないと制限しながら、我々国民から見ると、『そんな事聞いても仕方ないじゃないか』と言うようなねちねちした検事の質問や発言にはあまり制限しません。
人権派の弁護士ならずとも、大方の弁護士が痛感する所です。
折角、憲法で刑事被告人の基本的人権が保障されているのに、それを基本的人権を守るべき裁判所が侵害の先頭に立っているのですから、憲法を学んで法律家になったものとしては、やり切れない思いです。
例えば保釈の運用を見ると、法の精神とは全く反対の運用がされています。
警察、検察の言うとおり認めてない場合、今の運用では保釈請求が、100%却下されます。 
2002年12月28日の『コラム憲法の限界2』で、痴漢裁判の例を挙げて少し書きましたが、保釈と言うのは、無罪の推定を実行あらしめる為に、争っている被告人にこそ、言いたい事を堂々と言わせる為に必要な制度なのです。
一般民事事件の場合、、10日も20日も監禁された状態で、借金している事を認める証文にサインした場合、裁判所はその有効性を滅多に認めないはずです。
それなのに刑事事件になると、そうした状態の自白を重視して、有罪判決を下す裁判官の心理は理解出来ません。
それどころか、被告人が、身の潔白を主張している限り、際限なく拘束を許可する刑事裁判の運用では、裁判所自体が自白を強要しているとしか考えられません。
これでは、憲法を守るべき番人役を期待されている裁判所が、進んで憲法蹂躙を後押ししているとしか言いようがありません。
何故、こうした運用になってしまったのでしょうか?
99%の有罪率と言う実績が大きいとは思いますがそれだけでしょうか?
裁判所(官署を現わす裁判所でなく、受訴裁判所の事で、簡単に言えば裁判官と殆ど同じです)は、同じく日本人ですので、官尊民卑の思想にかなり毒されています。
もしかすると、普通の日本人よりも『役人が嘘をつく筈がない』とか、『役所に誤りがある筈がない』と言う役人固有の『民間は信用出来ない』と言う意識が、かなり強いのではないかと思います。
その結果、99%の有罪実績と相俟って、争う被告人を見ると、頭っから『この嘘つきめ』と言う先入観で見てしまうのではないでしょうか?
『役所は、何事も、慎重にきめるので誤りがある筈がない、文句言ってる人間は、何か特定の立場で、けちをつけているだけだろう』と言う先入観で裁判されていたのでは、公平な裁判を望むべくもありません。
こうした悪習を絶つ為にも、各行政庁は念には念を入れてと言うやり方をやめて、誤りがあったら裁判で事後的に修正するんだと言う軽い立場に変更して欲しいと思います。
そうすれば、仮に事後修正してもその傷が浅いので、誤りに気付いた時には、自らの修正も容易くなって、硬直した運用が減少し世の中が住み易くなるのではないでしょうか? 




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