01/31/08

老荘と現実(朝三暮四)

「結果が同じだからアクセクするのはおかしい」と言う論理は一見格好良いのですが、実はレトリックと言うか、マヤカシです。

どうせ結果が同じなら早く貰えるときに貰っておく、食べられるときに食べておくと言うのが、動物の本能と言うか、生きて行く知恵であって、馬鹿にしたことではありません。

日々が命がけの自然界では、朝食べておかないと夜には他の動物に自分が食われてしまうかも知れないのです。

前々回最後に、古くからの身近な生き物を例にした寓話利用の精神が現在の実験用動物利用に繋がっていると書きましたが、彼らは人間に似ているもののそっくりではないので、動物の実験で薬がうまく作用しても、必ずしも人間に使えるかどうか分からないので、さらに本当の人間に対する治験が必要です。

寓話も人間に当てはめるときには、サルやロバは、違う世界に生きていることを前提に考える必要があるでしょう。

では人間の場合には、結果が同じなのにアクセクするのは、おかしいと言えるかと言うと、人間にもいろいろあって、その違いによって生きていくルールが違うのです。

現在社会でもそうですが、今日できることを明日に伸ばすのは、賢い生き方とはいえません。

車で言えば、どうせその先で信号を待つくらいならば、ゆっくり走っても同じようなものですが、やはり行けるところまで行っておかないとその途中の割り込みや他人の事故、別の信号で止められるかもしれないので行けるところまで、行っておくのが合理的です。

すべて見通して、始まりから途中、さらには結果まですべて分かっていると言う仮定でこそ、朝三暮四の寓話が成り立つのであって、神ならぬ身、誰も自分の10日先どころか、一寸先の運命を知ることの出来ないのが生身の人間です。

今出来ることは今する、今もらえる物は、貰っておくのが賢い生きかたと言うべきでしょう。

老荘系の話は、人間とサルの違いどころか、人間の中でも神様みたいにすべて見通しできる人物と一寸先のことすら何も分からない凡人・・・大きな違いのある事例を同じようにみなして比較の対象にしているごまかしがあるのです。

このように、老荘系の思想は、達観した人物を主人公にして、自分もそうなった場合格好いいものですが、(映画のヒーローになった気分同様の陶酔を誘うものです)実際的ではないのです。

現実生活に戻ってみると、ヒーローになったつもりでは生きていけませんから、老荘の思想は読み物としては人気はあるのですが、社会の薬味程度の扱いとなって、実践する人がいないのです。

 



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