01/29/08

還暦と余生 (誰でもやれることの意義)

昔から還暦を過ぎて生きてきた偉人が多いのですから、かれらの生き方に学ぶことが、これからの高齢化社会を元気に行き抜く秘訣と言えば言えるでしょう。

こうした視点では、03/04/07「高齢者の生きがい1(高齢者の生活技術2)」前後で連載しましたが、偉人と庶民とは才能・本質が違うのですから、単純な真似では無理があるので、庶民向けの生きがいの創出が必要です。

また、国民レベルが上がってみんながみんな徒然草みたいな著作をできるとなれば、希少価値が下がるので、それ自体意味が無くなるのです。

国民みんなが老後頑張って、誰もが何とか賞作家になれば、その賞の価値がなくなるのです。

みんながカメラマンや画家になっても同じです。

これまで、凡人の及ばぬことをした人を目標にしているのですから、これを凡人の到達目標としてみんなに、奨励するのは、背理なのです。

国民のレベルが上がって、誰もが到達できることなら、その時点でそのその受賞基準が上がって、何とか賞の対象にはなりません。

還暦後も元気な人が例外ではなく大多数になってきて、その人たちの生きがいを求めるとすれば、大多数の国民がとりかかっても意義があること・・他人との差を求めることから脱却するしかありません。

みんながやれることを奨励するとなれば、滅多に達成できない偉業を求めるのは背理です。

みんなが出来ることは、偉業とは言わないからです。

と言うことは伊能忠敬のような特別な生き方を国民全部に奨励するのは、背理であると言えるでしょう。

今の人の大多数が仮に現在の芸術家並みの写真を取れるようになったとしたら、あるいはプロ並みの俳句を作れるとしたら、その時点で並みの腕・・芸術とは言えなくなるのです。

芸術とか・○△の業績とは、平均以上に並外れた水準になっている場合を言うからです。

60歳以上の元気な人がみんな参加できることを、政策として提供してく必要があるのです。

 



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