01/27/08
歳星紀年法1
韓非子はちょうど秦の始皇帝のころですから、まだ青銅器中心で鉄器がやっと出始めた時代です。
中国の漢字には、矛などの武器に関する漢字が多いのですが、防具に関する漢字が少ないのは、(いつも書きますが私の知る限りと言う限定です)材料としては有り合わせでやっていたからでしょう。
こうしてみると、中国でも日本同様に甲は、防御用材料としての木に転じて意味が共通化していた可能性があります。
ところで、日本では西洋から伝わった7曜表にあわせて、木火土金水を当てはめて、木星と命名していますが、中国でも古代から木星といっていたかが気になるところです。
現在の中国が、仮に日本同様に「木星」といっていても明治以降は日本の命名が中国へ輸入される事例が多いので、必ずしも、古代からそういっていたとは限らないのです。
木星に話を戻しますと、太陽を基準とした一年間を区分する基準は、昼夜の回数と月の満ち欠けの回数くらいしか必要がないのですが、・・その他春夏秋冬あるいは、24節季などいろいろありますが、これらは季節感の基準であって、計数的基準とは関係がないでしょう。
1年を365で区切るには漠然とし過ぎるので、その中間的基準としては月の満ち欠けを基準とする一ヶ月単位は適当なところですが、ほぼ12周期を基準とする天体は月だけしかなかったのですから、これを利用するようになっただけで、本来、いろんなものごとの周期に利用する必然性はなかったのです。
古代には、月の存在が大きかったので、何にでも応用して周期的思考の基本として1日を12等分してみたり、現在の1時間をや1秒を12進法で考えたりしていろんな周期の基準に使ってきましたが、本来12進法は1年の区分法として合理的なだけです。
まして年数の区切りを12周期で考える必然はないし、何の意味もないのですが、12年弱周期で移動している木星を発見したことで、これを中心に循環を考えて行く12支の考えと結びついていきます。
12支の考えを年の周期に応用する考え方の始まりと木星の発見とどちらが早いのか私には分かりませんが、中国での12支の考えは、もともと1年間の月別の動きと関連して始まったものでしょうが、木星によって基礎付けられ、普遍性を獲得したことは間違いがないでしょう。
オリエントや地中海世界では、12年周期・・12支の考えに発展しなかったのが中国との違いですが、あちらでは、合理的思考が進んでいたので、意味がないと思ったからでしょう。
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