01/24/08
西極天馬の歌(武帝)
私には、大した詩とは思えませんが、武帝の有頂天を表す意味で有名なのでしょう。
ここで天馬とは、張騫がもたらした烏孫からの良質馬のことをそのように名づけていたからです。
詩では天馬と書いていますが、このとき手に入れたのは、いわゆる汗血馬と言うものです。
「西極・・西の極みより来たる」と言うので、そのときは、もう大宛(現在中央アジアのキルギス地方)のずっと先・・大秦国に関心をなくしていたのでしょう。
万里の砂漠を経て有徳・・自分に帰したと言うのですが、回りから、おべんちゃらばかり言われることに慣れてしまい、自分のことを「有徳」というようになったら、もう終わりです。
西極天馬の歌
天馬徠兮從西極 經萬里兮歸有徳
承靈威兮降外國 渉流沙兮四夷服
今回のテーマには関係がないですが、事のついでに李陵の詩を紹介しておきましょう。漢・武帝は、ご存知のように匈奴征伐に精を出しますが、その一環で、匈奴に捕虜となって、その後匈奴の武将になっていた李陵の悲劇を紹介しておきましょう。
武帝の版図拡大の明と暗と言う関係です。
武帝死後、漢に帰ることになった蘇武に対する送別の宴で、自分は帰るに帰れないその無念の気持ちを謳った有名な詩です。
この書き出しの「万里を経て砂漠を渡り・・」の文言は、前回紹介した武帝の漢詩の一節「經萬里」「流沙を渉(わたりて)」を踏まえて作られたものです。
別歌 李陵
径万里兮度沙漠
為君将兮奮匈奴
路窮絶兮矢刃摧
士衆滅兮名已
老母已死 雖欲報恩将安帰
自分の部隊は路(みちが)窮絶し、矢刃が摧(砕ける)まで戦ったが全滅し、自分の名誉はすでに地に堕ちてしまった・・その上一族・・老母までが自分の敗戦の罪で武帝に誅戮されされてしまった今、自分に厳しかった武帝が死んだからと言って、今更故国に帰ってもどうしょうもない・・・・悲痛な李陵の名場面です。
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