01/22/08

古代中国の戦車2(飛鳥板葺の宮の価値)

当時の戦車は、多分日本の平安時代に貴族が利用していたのと同様の、のろのろした牛車またはそれに似た2輪の馬車だった筈です。

戦車とはいっても日本の戦後どこでもあったリヤカー程度の木の箱を作って、その下に木で作った車輪をくっつけてそれを牛か馬が、のろのろ引いていただけではないでしょうか?

運動場のように平らにならした場所では無く、でこぼこの平原で戦うのですから、映画のように目の回るような早さで100メートルもガタガタと走れば車が解体してしまったでしょう。

戦車といっても当時はまだ青銅器時代ですから、木で作った車で、もちろんスプリングもなく木の車輪、(もちろんタイヤもないのです)木の車軸・・・などなどそのころの材料を考えれば、木材と木材のつなぎにも釘も留め金も無く、ツタかずらなどで縛るしかない時代ですから、でこぼこの平原をガタガタと走っていれば直ぐにガタが来たはずです。

鉄がなくとも木で精巧な物を作ればいいだろうと思う方が多いでしょうが、実は木造の細工ものは、精巧な鉄器類の発達がないと作れないのです。

今になると無垢の木で物を作るのは材料的に贅沢と言うことですが、昔は逆に薄い板を使うなどはものすごい贅沢だったのです。

何しろ板切れを作る技術は、かなり後世になってから、・・日本では平安末か鎌倉時代になってやっと可能になったもので、それまでは丸木をちょっと加工した丸太くらいしか作れなかったので、最大一本の丸太から2本の板をとるのがやっとでした。

今でも自動車その他、先端製品(携帯電話)で、いかに鉄鋼やその他の隔壁を薄く出来るかが競争ですが、同じことが昔から続いているのです。

ごつい鉄板しか使えないロシア製や中国製の車が(開放前のことです)贅沢に鉄を使っているからいいのではなく、そんなものでは売れないのです。

現在の半導体製造競争・あるいは高度医療手術を見ても分かるように、人類の進化の歴史は如何に薄く精密な物が作れるかにかかってきたと言えるでしょう。

古代のお寺の柱が太いとか、分厚い板を使っていてすごい・・昔は大きな木が多かったからだと単純に思っていっらしゃる方が多いでしょうが、薄い板にする技術がなかった面が大きいのです。

大化の改新の舞台である飛鳥板葺きの宮をご存知の方が多いと思いますが、現在的価値観で言うといかにも粗末な建て物の印象ですが、当時にとっては、板葺きにするなどは最先端の贅沢な建物だったと言うことです。

 

 



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