01/21/08
古代中国の戦車とは?
これまで書いてきた五行説の五蓄には、犬、羊、牛、鶏、猪の順になっていて、今になると最も重要なはずの馬が挙げられていないのも、そのころには、馬が重要な家畜ではなかった証左でしょう。
古くからある12支には、「午」という字があって、これをウマと日本では読んでいますが、「午」という漢字の意味は、上下に交差する杵の形が原義で、現在の午前、午後の交差する正午・・中間点を意味するだけで、元々馬の意味ではありません。
元々「えと]の動物は庶民が12支を学びやすいように、後世になって身近な動物を当てはめただけの話です。
ですから、国によって当てはめの動物も違っています。
ベトナムやタイなど南方では日本のウサギの代わりに猫が当てられていますし、日本のイノシシは中国では豚です。
古代中国では、戦車利用が多いのですが、黄土高原と言う地理条件だけでなく、騎乗に適さない牛またはのろい馬が動力の中心だったから、戦車が発達したともいえるでしょう。
ところで、始皇帝の兵馬俑を見ると・・・実際に見に行ったことがないので、写真等によるものです・・・兵馬俑と言うように馬の俑も出土しています。
しかし、見たところ騎馬状態の俑はないような印象ですし、戦車を引いている状態の馬も見当たりません。
(報道・観光用写真ですので、たまたま写っていないだけかどうかまでは分かりません。)
わが国の埴輪でも馬の埴輪がありますが、だからと言って、古代から騎馬戦をしていたのではないのです。
わが国に銅鐸や銅鏡が入っても神社の飾りに使われていたくらいだったのと同じで、多分指揮者が、時々乗ったくらいで実戦に兵士が利用できた訳ではないのでしょう。
要するに匈奴やオアシス民の利用していたウマと、中国のウマとは質的に格段に違っていたので、汗血馬とか、天馬とか絶賛して渇望していたのでしょう。
現在の競馬馬の主流であるサラブレッドも、元はといえば遊牧民のアラブ種をイギリスで改良したもので、中央アジア地域の馬は、質的に違っていたのです。
戦車の話に戻りますと、実際、馬が導入された漢以降の戦いでは、(例えば三国志のころ)戦車の実戦利用はありません。
せいぜい、軍師の威厳を示すために、諸葛孔明が戦車に乗っていたくらいで、実戦には利用されていないのです。
春秋戦国時代に多用された戦車といっても、馬が引いて突っ走っていたはずがないのです。
(10年前後前に見た中国製の始皇帝の映画では、馬が引いてすごい勢いで走っていますが・・・・。)
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