01/19/08
古代文化交流の途絶6と陰陽五行説5
五行説では、木を生命・万物の基本として重視し、甲乙丙丁の甲に木を当てはめ、甲は木の固いさまを表し、すべての代表、首席、T番を意味するようになっています。
わが国でも、甲は、甲種合格、(私が学生のころには高級官僚の資格でしたが、いつの間にか第1種と変わりました)甲乙付け難いなどその他物事の最高を表す言葉になっているのは、ご承知のとおりです。
甲と木は関係ないと思う方が多いでしょうが、わが国でも、甲子と書いて「きのえね」
甲丑を「きのとうし」と言い、甲を木と読んでいるのです。
これと同じで、月が1年約12回周期であると言うだけのことから、年の周期も根拠なしに12年周期を考えて、これにこだわったのが12支の考えです。
たまたま12年弱周期の星が見つかったことから、これを木星(星の筆頭と言う意味でしょうか?)あるいは歳星と名づけ、現在の1年(当時は穀物周期・・春から秋までを1年と考えていたことを年と言う漢字の意味などで既に何回か紹介しました)を数える基本と考える歳星紀年法が中国では発達したのです。
この歳星紀年法のころから、1「歳」とは、春から秋までのことではなく、現在の1「年」をあらわす言葉になったのでしょう。
それまでは、春から秋までの1年と秋から春までの裏版の1年との2回で構成されていたことになります。
春情戦国時代には、何十年単位の記述・・臥薪嘗胆や晋の文王の例などがよく出てきますが当時の1年の期間は今と違うことを考える必要があるのです。
陰陽五行説は戦国時代にとなえられたと言われますが、同時期・・西洋のアリストテレス(前384〜322)の研究などに比べて、ちょっと頭の弱い方向・・非合理な神秘主義に偏ったような気がします。
アリストテレスも日、空気、水・土の4元素を主張していますので五行説と似ていますし、アリストテレスの地球中心思想・・天動説も?キリスト教の神学の基本となって、後世に大きな影響を及ぼした点も同じです。
ただ、後から考えれば天道説その他いろいろと間違っていることが当然でてきますが、・・・・ニュートンの万有引力の法則だって、妥当する分野と妥当しない分野があることが相対性理論で分かってきますが、後世更なる進歩で、妥当しない領域が順次判明してくるのは、仕方がないでしょう。
古代通商の途切れたときには、中国とオリエント地方は惑星の発見や物質の観察に目が向くようになっていた点では、似たような状況になっていたのでしょうが、アリストテレスに代表される西洋の思想が、神秘主義とは違って、合理的思考を尊重した点が、後の科学発展の種になった点が大きいのではないでしょうか?
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