01/18/07
古代文化交流の途絶4
紀元後5〜6世紀に、中国の暦や陰陽説や易が日本に伝来するとさらに呪術的要素が濃厚な陰陽道になって受容されたように、当時の中国とオリエント地方の文化差も、当時の日本と中国の差同様に、かなり大きかったからでしょう。
(日本では前回書いたように学問的装いすら必要がなかったと言うより、かえって、難しいお経は逆効果だったので、仏教もあとから呪術的密教に変身し、あるいは、お経や念仏を唱えるだけで極楽へいけると言う風に単純化して根付いたのです。)
以前中国は独自文明ではなく、オリエント地方の文明の伝播によるものであるというコラムで紹介したことがありますが、オリエント地方の文明は、メソポタミア文明・シュメール文明が、紀元前9千年から2千年前後まで栄え、その後バビロニア、ヒッタイトからアッシリアとなって最期はアケネメス朝ペルシャになっていくのです。
他方で、エジプトは紀元前3000年には中央集権国家が成立し、以来上記ペルシャ帝国に滅ぼされる紀元前525年まで続き、その後アレキサンダー死亡後のプトレマイオス王朝になって、今度は、シーザー死後の紀元前30年クレオパトラの死亡まで続くのです。
ちなみにメソポタミア地方最後の古代帝国古代ペルシャ帝国(アケネメス朝)は、紀元前539年成立です。
これに対して、中国自慢の殷の文明と言っても紀元前1600〜1000年でしかないのですから、メソポタミアやエジプトから見れば想像を絶するほどの年代差があるのです。
中国より千年ほど遅れていた日本が中国の易学などを陰陽道としてしか受け入れられなかったように、中国もオリエント地方から見れば何千年と遅れていたので、西域を通じておぼろげに入った先端知識を、ゆがんで受け入れるしかなかったのです。
このように歪んで受容したオリエントの先端知識・科学でしたが、その後も流入が続いていれば、漢民族のレベル向上にあわせて是正されるチャンスがあったでしょうが、その後オリエント地方はアレキサンダー大王の侵略・破壊によって文化中心地ではなくなってしまうのです。
(ペルシャの滅亡は紀元前336年ですが、その大分前から勢いを失っていましたので、文化発信能力も落ちていたでしょう)
古代ペルシャ滅亡から5百年以上後の諸葛孔明(181〜234)の物語(3国志演義)でもしきりに、天文を占って、将星の動きがどうのと言う記述がでてきますが、ずっとこう言う非合理思想が中国を支配していたのです。
科学万能の現代でも、いまだにこの5元素しか認めない陰陽五行説を基本にした四柱推命・算命学などの運勢占いが、わが国ではしぶとく生き残っているのですから、人間の非合理性への親和性や超常現象への期待感は救いがたいものがあると言えます。
(ただし、私自身興味があるので自戒をこめての批判です)
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