01/17/08

中国の神秘主義3(易経と陰陽五行3)

国民レベルが低すぎると先進知識が入ってきてもこれを充分に咀嚼して、さらに科学の発展の方向へ使う能力がないので、これを自分のレベルに落として翻訳しようと試みるのが普通です。

そこで、中国では古代からの存在する亀甲占いや陰陽説に対して、オリエント地方から入ってきた宇宙の最新科学を付加して、これを補強に使って、国民への有難さを付加する方向に利用したのです。

他方、殷代から周の時代になるといわゆる歴史時代ですから、国民のレベルが上がって、原始的な亀甲占いだけでは納得しなくなりつつあったので、それなりの権威付けが必要な時代が来ていたとも言えるでしょう。

現在でも新興宗教の殆どは、最先端科学の一部を曲げて借用して、(科学者の落ちこぼれが参加して・・オーム真理教事件を想起してください)もっともらしく科学的装いを凝らして説教の道具に使うことが多いのですが、易経は、これの古代版だったというべきでしょう。

仏教も本来は合理的哲理を説くものだったでしょうが、後進国日本では、鑑真の説く戒律だけでは大衆化しなかったのですが、空海による呪術的な護摩・密教として大衆に受け入れられて大きく発展を遂げ、あるいは中世での念仏や南無阿弥陀仏・南無妙法蓮華経など唱えるだけでよいと単純化して広がったたのと同じです。

空海は中国で習ってきた先端の土木技術などを用いてあちこちに溜池をつったり、井戸を掘ったりして民衆の支持を集めたのが知られていますし、行基も結局は土木工事屋さんでした。

もっと時代が下がっては、島原の乱で知られる天草四郎は、キリストの教理によってではなく、いわゆる手品で、民衆の心を掴んだといわれています。

中国古代の易経に戻しますと、あまりにも、オリエント地方から流入した天文の知識は、目くるめくような先進知識だったので、「これが分かればすべてのことが分かる・・」魔法の杖のように思い込んでしまったのです。

しかし、今になれば天文によって明日の天気が大体分かるところまで来ていますが、(これだって結構外れます)当時は、いくら星の運行を眺めていても将来どころか明日のことさえも、科学的に予測することは不可能だったのです。

当時の天文の知識、観測能力では、星座を眺めていても結局何も分からないので、真面目にこつこつと進化する方を放棄して、逆に開き直って素人には分からない神秘主義に頼り、万物の運行、政治や個人の将来まで見通せるという方向へ発展させてしまったのが易学・易経です。

そのための小道具が、易経という学問的装いであり、筮竹だったでしょう。

 

 



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