01/17/08

中国の神秘主義2(易経1)

この五と言う数字にこだわるだけでなく、当時の易・陰陽説と結びついて、さらに後世呪術的方向へ発展して行く道への可能性を開いてしまったのは、先進文物を輸入していただけの当時の中国の文化レベルの低さではないか?というのが私の仮説です。

中国よりも数段以上遅れていたわが国では、紀元後5〜6世紀にいたってもこれをさらに呪術的傾向に修正して陰陽道として漸く受け入れができたのです。

オリエント方面からの文物の輸入が止まって、訳が分からなくなってきたけれども、星座の研究・・さしあたり惑星は大切なものだという刷り込みだけが残っていたので、「何とかものにしなくっては!」と言う意気込みから中国古代では呪術的思考法に逃げ込んでごまかしたのです。

ちなみに陰陽説では、臓器は陽で、腑は陰とされますが、何ら意味のない区分けでしかありません。

すべてに当てはめようとするから無理が出るのす。

この五行説以前か同時か知りませんが、ご存知のように儒教の四書五経のひとつされる「易」の発達も見逃せません。

周易と言われるように、易学(易学とまで行かないまでも、殷代の亀甲占いは有名です)は儒教以前からあるものですが、元はと言えば天文学から始まった宇宙の真理を探究するものだったでしょう。儒教は、01/11/08「7サイクルの残存と文化交流の途絶1」に書いたように孔子(紀元前551〜前479)以前のいろんな考えの集大成でもあるのです。

オリエントからの文物・・天文暦法の輸入があって、これが中国土着の後進性と結びついて亀甲卜占や筮竹の占いに結びついて学問の装いを凝らしたのが、易学ではないでしょうか。

天文の研究も、オリエントからの輸入された考え方は、合理的学問だったでしょうが、受け入れ側の能力の関係で、筮竹の組み合わせに頼る非合理な魔術的なもの(特殊専門家しか操れない・第三者の検証を受け付けないものに)に歪曲してして受容されたのです。

わが国では、中国よりももっと遅れていたので、暦や易と陰陽説、五行説を合体してさらに呪術的傾向の強い陰陽道として取り入れられ、中国よりも呪術的方向へなお発達させ?ズレていったのも同じ原理です。

日本では以来、加茂家・土御門家と安倍(清明の後裔)家の2家が、浮沈がありましたが、天文と易の宗家として続きますが、彼らは何ら科学的な天文の発達に貢献することなく、呪術的仕事に終始して終わるのです。

日本で合理的天文学を研究できるようになるのは、01/05/08「わが国の暦の歴史2(宣命歴から貞享暦へ)」で紹介した陰陽家と関係のない、江戸時代の渋川春海まで待たねばならなかったのです。

囲碁の専門家の方が、合理的思考になじみよかったのでしょう。

 

 



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