01/13/08
元号制(旧皇室典範)
この干支紀年法と元号制の併用は、現在わが国で平成何年という表記と西暦何年の表記が並立しているのと似ています。
しかし、これは平成何年の表記が正式で、西暦の表記はわが国では法的には使われていないのですから、旧暦時代の元号と干支紀年法の関係とは原則例外が逆転していることに気をつけてください。
後に明治の改暦の布告を紹介しますが、この布告発令日の表記でも、 「 明治五年壬申十一月九日」と明記されているように、正式文書は、元号と干支紀年法の併用でした。
ただ、日常生活では、約束事や自分の身のまわりに起きた事柄の説明としては、文久何年と安政何年といえば、何年前のことか直ぐに分かるので、干支までいう必要がなかったので省略していただけです。
しかし、数十年前になってくると頻繁に変わる元号で言われても、何時のことか見当がつかなくなってきます。
例えば現役や前総理や横綱なら誰でも分かりますが、石橋湛山とか、若槻礼次郎内閣とか栃錦といわれると何代目と通し番号で言ってもらわないと何時のことか分からないのと同じです。
そこで正式文書には、かならず干支も書く形式で来たのです。
元号制は明治の太陽暦への改暦以降も続いていたことは、改暦の布告自体に改暦後の表示として、(明治5年)「来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」と書いていることからもわかるでしょう。
ところが、あまりにも頻繁に元号が変えられると国際的交渉や日常業務に支障が生じるので、これまで人心一新のために1代に何回でも改元してきたのを改めることになりました。
そこで、1世一元号制にすることを明らかにすることを主目的に、明治憲法成立後天皇の権限を定めた旧皇室典範第12条に天皇の踐祚(代代わり)には必ず改元することが明記されたのです。
帝王が元号を定める権原を有するのは、武帝以来の当然の法理という理解だったでしょうから、旧皇室典範では元号を建てる権限が天皇にあることを明記するまでもないという形式です。
(旧)皇室典範
明治二十二年二月十一日皇室典範
廃止:昭和二十二年五月二日
天佑ヲ享有シタル我カ日本帝國ノ寶祚ハ萬世一系歴代繼承シ以テ朕カ躬ニ至ル惟フニ?宗肇國ノ初大憲一タヒ定マリ昭ナルコト日星ノ如シ今ノ時ニ當リ宜ク遺訓ヲ明?ニシ皇家ノ成典ヲ制立シ以テ丕基ヲ永遠ニ鞏固ニスヘシ茲ニ樞密顧問ノ諮詢ヲ經皇室典範ヲ裁定シ朕カ後嗣及子孫ヲシテ遵守スル所アラシム
第十二條 踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ
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